diary

不定

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2011.07.07 雨

「ごめんなさい。あなたは私の彦星じゃなかったの」と笑顔で彼女は言った。目は”素”であった。地球で起きる事実は神話より奇なり。

二十四節気、小暑。すでに日は短くなっている。気温と湿度が体感と一致しないように、日の入りも感覚と異なる。暑さはこれから。自然の「遅れ」ですね。第三十一候、温風至。一日雨が降り梅雨らしい天気。それも今日まで? そろそろ梅雨明けかなあ。雲からのぞく日差しは強い。風は熱を帯びて大気は湿っているので不快指数はぐんぐん上昇。

京都はそろそろ鱧ですかね。鱧もよいけど蛸もよい。生だこのしゃぶしゃぶは美味。それとししとうをつまみに酒を呑めば夏を迎えるに充分。

午前中、C社のサイト制作。デザインの細かい修正とWPのカスタマイズ。もうこちらでやることは少なくなってきた。原稿待ち。レンタルサーバーの選定も終了。あとはローカル環境から本番環境への移行。緊張。すんなり移行できるかしら。午後からはアルバイトの資料が到着したので没頭。

夕食は焼きそば。きょうのお料理ビギナーズの「失敗しない焼きそばのつくりかた」を読んだから実践。失敗しなかった。なるほどなぁ。火力と具材の配置と時間。そして一手間。科学的。ただ電子レンジがない家はどうするかな。ぼくの理想は電子レンジよさよなら。

九州電力のメールを読む。映像や動画を見ていない。評論や解説を読まない。Googleで「九州電力 メール 全文 公開」と検索してメールを読んだ。メールの文章から「焦り」を読みとった。

九州電力の組織風土を知らないので平均的なイメージをあてはめてみる。「封建的」な「上意下達」の組織なのだろうかと想像してみる。そういった組織での勤続年数が長くなると、「メールが漏洩する可能性」を吟味しなくなる?

大企業病は、「大企業だけが蝕まれる病態」のように受けとめられかねない。単なる名称にすぎない。大企業病に対する僕の解釈は、「吟味と検証の基礎である想像力と知力が著しく低下した状態」であって、中小企業や小規模な組織にでもあてはめられる。やせてる人の脂肪は少ないように思われるのと同じ。見た目で判断されやすい。

ラジオでMISIAの曲が流れてきて気になったのでオフィシャルサイトへアクセスしたら「このページの閲覧にはAdobe Flash Playerが必要です.こちらから最新のプラグインをダウンロードして下さい」と表示されてそこから先へすすめない。

MacBook Pro Early 2011 17inchにはFlash Playerをインストールしていない。MISIAのサイトについて残念な仕様だなと思う。個人的な感想です。Flashを搭載していないPCでアクセスしたら、「テキスト用」のページへリダイレクトするかリンクで案内してほしい。まぁ、アーティストのサイトにユニバーサルアクセスを求めたらだめだよね。自分の環境を改善すればよいだけ。

8月は心斎橋クラブクアトロのライブを観に行く。クアトロは8月末をもって閉館。おつかれさまでした。9月は日比谷野音。2ヶ月に1本ぐらいのペースかなあ。

Amazonから“人が学ぶということ―認知学習論からの視点” 今井 むつみ, 野島 久雄が到着。あわせて“学習する組織――システム思考で未来を創造する” ピーター M センゲ, Peter M. Senge“最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か” ピーター・M. センゲ と読みたいところ。この間読み終えた“かくれた次元” エドワード・ホール はすごくおもしろかった。プロクセミックスが定義されていないので調べてみると、近接学やパーソナルスペースって言葉が関連しているようだ。プロクセミックスの概念は医療の現場では援用されているのかしら。居心地のよい待合室と落ち着かない待合室って無意識に判定しているかもしれない。

正法眼蔵随聞記 十七 今の世出世間の人

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.144

うわべの姿の悪いのを見て非難して悪口を言う。対して真実の徳はわからないのにうわべの姿を見てありがたがって供養してそれなりに俗世の福を得る。

僧にも問われる。自分が世にもまれな道心者だと人に知られたい、また自分の欠点を人に知られたくないと思い、ただ世人にありがたがられようと思う心を戒められるか。

常に答えを求めようと’「こうですか?」と訊ねる僕に対して「そうでもあるしそうでもない」と返答されてしまう。「こちらの側からみればこうだよね。でもあちらの側からみたらああだよね」ともはぐらかせているようだ。ゆらいでいる。

絶対ではない。相対でもない。わからない。ふわふわしている。

「念々に留マラず日々に遷流して、無常迅速なる事、眼前の道理なり。知識経巻の教を待ツベカラず。念々に明日を期スル事なかれ。当日当時許と思ウて、後日は甚だ不定なり、知り難ければ、ただ今日ばかりも身命の在らんほど、」と書く。西洋はcarpe diemやseize the dayと書く。

ずっとずっと昔から人は「いま、ここ」に魅了されてきたのかなあ。

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