交衆

2011.07.22-24 薄曇り 早朝と夜半は涼しい

自分の遺伝子を解析してもらって口内炎ができないように組み替えてもらえるならお願いしたい。口内炎ができるのはかまわないのです。なにがいやかって口臭。口内炎ができると口臭がひどい。で、またやっかいなのは指摘してもらうまでわからない。自覚はあるのですが。幸い家人が「またできた?」っていつも注意してくれるので助かってます。でもね、その前にしゃべった人は臭かっただろうなあと。かなり凹み。弱気に。正直、話すのがイヤになります。神経質になってガムをかみ、フリスクたべてお腹がシュクシュク。はあぁあぁあぁ。

MISIAの「SOUL QUEST」リリースを記念したサイト「THIS IS ME」診断してもらう。結果は、「本当のあなたは、全て先手必勝でものごとをすすめられる人、です!」との結果。間違いでござる。すべて後手必敗な私なのであります。

Amy Jade Winehouseが遺体で発見された。27歳。彼女も27歳の死を迎えた。迎え入れたか、迎えたか、招いたか、歩み寄ったか、どうでもよいんだけど、とにかく27歳の死であったことはたしか。なんだろね、ほんと。偶然も数学的事象だとしたら論文を読んでみたいよ。死ぬから伝説になるのか、伝説になりそうな異才が夭折するから物語が強固になるのか。日曜日のFM80.2で山添まりさんがふれていた。「いやな予感がしていたから27歳をこえてほしかった」と。

中国で高速鉄道が脱線した。痛ましい事故。冥福をお祈り申し上げる。番組表がひどい。「中国版新幹線」と書いてある。新幹線が事故を起こしていない。明らかな意図を感じる。「中国の脱線事故」に対して溜飲を下げるような文脈がTLやSBMや報道からにじみ出ている。豆腐の絹漉しは好きだが、不満を消すような絹漉しは食べたくない。

日本でもJR福知山線脱線事故や信楽高原鉄道事故があった。事故原因や安全の仕組みが違うと承知している。事故はどこの国でも起こる。技術を模倣された可能性が高いからといってそれみたことか的気持ちを抑えられない文章はどうかしているでしょう。中国の事故処理も話題になっている。日本の報道を読んでも、「そういう処理の仕方」をなにげなく嗤笑しているみたいで、「そういう処理の仕方をする国とのつきあい方」を真剣に論じる記事は少ないし、企業や政府へ警鐘していない。あざけり笑う(ぼくがそう読みとっているだけだけですが、ということはぼくのなかにもあざけりわらいたい欲求がある)暇があるなら、「どうしてそういう処理の仕方を選択した」かを調べて報じてくれたらよいのにと思う。

22日の金曜日、19:00からM先生のミーティング。M岡さんが選んでくださった“夢をかなえるゾウ” 水野 敬也の序章をみんなで読む。読書会。おもしろそう。ガネーシャの意味は? 関西人、とくに大阪人は「自分な」と言う。ガネーシャは「自分な」と言う。この自分は「相手」をさす「自分」。ぼくが育った東大阪市の端っこの地域でさらに端っこの大人は「我」を使う。「よぉ、我、おっ、我な」という。この「我」も「相手」をさしている。不思議な表現。二人称を使わない。一人称で私と相手を使い分ける。

23日の土曜日は大阪をウロウロ。三年と半年が経過したんだねとほんのほんのほんの少しだけ安堵。あと一年半。それも統計の数字と確率でしかなく、実体は存在するか無かのどちらかでしかない。ひさしぶりに大阪駅周辺をウロウロしてずいぶんくたびれた。パーソナルスペースが広くなってしまったから繁華街を歩くと身体をちくちく突き刺されているみたい。反対かなあ。パーソナルスペースが狭くなったからか。あれ、どっちだろ。

正法眼蔵随聞記 三 五 故建仁寺の僧正の伝をば

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.167

性格や行動がやや難アリな超一流のパイロットと性格や行動は万人受けするが三流以下のパイロットがいたら、あなたはどちらの飛行機を選ぶだろうか? 不謹慎ながらそんな風に読みとった。

ひとあたりは大切。大切だからこそひとあたりをみようとする。みようとしてそのひとあたりに惑わされてしまう。ひとあたりが「技術」を隠し、「腕前」を誤魔化す。

鏡の前で笑う、毎日、毎日、笑顔を練習すれば「つくり笑い」は「ほんとうの笑顔」に変わるかもしれないよなぁって思いながら読みつつ、その笑顔をみて「つくり笑い」か「ほんとうの笑顔」を見分けるのはむずかしくもあり、見分けられるようになりたい自分と「つくり笑い」から「ほんとうの笑顔」をつくりだせる自分、両立させたいと願っておる、ふたつの自分の共通項は狡猾であって、純粋とはかけ離れていて、不純であり、それでも「ひとあたりがよい」似而非に指し示された道を歩くよりは自分で獣道を見抜ける能力を残しておきたいです。たとえ、見抜いて道がはずれて路頭に迷ったとしても。