diary

行履

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2011.07.27 曇時々晴れ

ども、一日のピークが午前4時44分の”中の人”です。ちなみに起床時間は午前5時30分です。寝ている間にピークを迎えて起きてるときは下降線。

天気はすっきりしない。薄曇り。夕立が降りそうで降らない。滋賀県の東側は降ったらしい。梅花藻の季節ですなあ。醒ヶ井の写真をながめてたら行きたいですぞ。

思考の道筋や発想の仕方や意見の内容は組織や環境に依存する。世間は異常な行動や非常識な発言に対して囂囂たる非難を浴びせる。非難を浴びせる世間は非難の基準を熟慮してつくりあげていない。世間は醸成された空気をすって「中の人」に空気を分配して憤りを感じさせて非難をつくる。

興味深い点がひとつ。世間の「中の人」も同じ構造を抱えているはずなのに認識できない。帰属している会社や組織や環境へ自身をインストールしたら「異常な行動や非常識な発言」のアプリケーションを動作させている。でも、異常だと思わない。非常識と気づかない。ローカルルールを適用しようと試みる。ローカルルールだと思っていなくてグローバルルールだから通用できると信じている。

浜大津から膳所まで行きなさいと指示されたら、徒歩かバスか電車か自動車で向かう。手段を選ぶ。手段に対する解釈は残る。運賃がもったいないから徒歩か、急いでいるから電車か、とか。定められた最終地点へ向かえばよく、決められた領域のなかで発生する事象に対して解釈すればよい環境はある。

他方、浜大津から好きなところへ行ってよいといわれる環境もある。あるいは自ら好きなとこへ行ける環境も。徒歩かバスか電車か自動車か。飛行機か。バイクか。船。筏、水泳。どこへ行こうか。最終地点を自ら設定して制限のない領域で発生する事象に対して対処しなければならない環境はある。

前者の環境にいる人と後者の環境にいる人が会話をすれば、視点と発想と思考はかみ合わない。もしかみ合うとしたら両者は知性に飢えている。異なる環境から吸収できる知性を渇望している。そういう人たちはいる。ややもすればかみ合わないどころか、何を言っているかさっぱりわからないかもしれない。

よいわるいではない。なのに「間違っていますか?」と相手にたずねる。「おかしい?」と確認する。賛同を求めているか、評価してほしいか、正解があるから採点してほしいか、いずれかもしれないと自己分析する。

日経サイエンスの何月号だったか、「国土の1%で住めなくなる(可能性)」を学会で議論したと書いてあった。誠実な議論を重ねているんだなぁと思った。それらの議論は表舞台に出てこられない(可能性が高い)。表舞台に立たせようとしたら政治に監督をお願いしなければならない。科学的に事実であっても哲学はひとつ次数をあげて事実を主観的に解釈する。

正法眼蔵随聞記 三 七 我れ在宋の時禅院にして故人の語録を見し時

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.179

「語録公案等を見て、古人の行履をも知り、あるいは迷者のために説き聞かしめん、皆是レ自行化他のために無用なり」が書店の壁に貼ってあれば本を買いづらいなあ。

古人の語録を読むことが一体何の役に立つのか、という問い。問いの道理を考え抜いたら「無用」だった。

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