闕怠

2011.08.29 晴れ

頭痛。左肩の痛み。腰痛。身体は強いほうではない。むしろ弱い。数値は平均より上であっても、こわれるときはこわれる。出産後の苦難を思い出したら、よくここまでこれたなと両親は思っているだろう。20代から30代前半は、完徹したり明け方まで仕事した。いまは一切しない。

1回の完徹が、3日間の心身機能低下をもたらすとしたら、仕事の分量を3等分して一日当たりの作業量を算出したほうが効率よい。

無駄なことをするために効率を求める。効率がよくなった隙間に次の効率をはめこむ。無駄がなくなっていく。それをくり返せば心身はこわれる。隙間に無駄を埋める。つきつめれば「自分」が無駄なんだから。

岡村靖幸さんのプレサイトを見る(音が出るので注意)。クール。キメすぎ。MISIAの明日へを聴く。熱情。ストレート。シンプルな歌詞が伝える力とオリジナルの声が届ける力。

大切な人や物は失ってはじめて気づく。物なら見えなくなれば失ったと理解できる。人はそうでないかもしれない。見えていても失っているかもしれない。大切が表す状態をリアルタイムで認識できない。グッドタイミングはない。気づきは常に遅れてやってくる。

「どうですか?」の一言。定期健診で担当の歯科衛生士さんが「どうですか?」と訊ねる。年に1回か2回、新人の方や慣れていない方が、健診を担当する。

「どうですか?」

担当の方とは異なる。しゃべり方や発音じゃない。抑揚かな。いくぶんうわずった”どうですか”は、私に緊張を伝達する。

「オレも緊張してるけど、この人もまだ慣れていないから緊張してるんだなぁ」

担当の人の「どうですか?」はうわずっていない。かといって高音でもない。ナチュラルより半オクターブぐらい高い「どうですか?」は、「聴きますよ」のメッセージを含んでいる。

「どうですか?」

(´-`).。oO (その前にどうして「どうですか?」なんだろう…..)

なめらかな動作となめらかな口調は違う。下位技能をなめらかにこなせても、口調はなめらかになるとはかぎらない。なめらかな口調は、なめらかすぎると立て板に水になる。快弁。弄舌。完璧な嘘をつかなければならないときは、よどみなく抑揚をつけて話す。話すというより演説に近い。対話や会話する気がないから、用意したシナリオにそってしゃべる。

相手に自分の考えを伝えて、相手から意見を引き出す、相手の考えを伺い、自分の意見を申し上げようとすれば、口調はなめらかでなくなる。ためらいやとまどいが抑揚のなかに現れる。

かといって、口不調法だからよいかといえばそうではない。自分の考えを相手に伝えるために必要な下位技能はある。下位技能を学んで練習して身につけようとしていないのに、自分がうまくしゃべられないって嘆いてもしょうがない。それはしょげている自分をアピールして他人を振り向かせたい仕草。そんなことはないと私は否定するけれど、それを認めようすれば自分のなかへ深く深く潜らなければならない。その深さが怖いし辛い。

基本。

18歳のときに日立のデスクトップをさわった。あれから20年。USキーボードの配置を覚えていて、ブラインドタッチはマスターしている。下位技能は体得していると確信していた。だけど、タイピングの基本を読んでびっくり。我流のタイピング。基本どおりにやろうとすれば打てない。USキーボードの配置を完璧に覚えていない。

下位技能を体得していないのに何を言っているか。ちゃんとタイピングできてからだろって。質と量をこなしていないのに資料を読む。頭で理解できたらやれると思う。順序が逆。

そしてもっとも大切なことを理解してない。人と出会わなければ、いくら頭で理解していてもやれない。

気づきは常に遅れてやってくる。

くどいね。今日は正法眼蔵随聞記なし。