仮名

2011.09.10 雨のちはれ

05:20に目がパチリ。3分ほど手足を伸ばしてぶらぶらさせてむくり。日の出が遅くなった。くもっているせいか、部屋はちょっぴり暗い。水を500ml飲む。お腹をびっくりさせる。日によっては胃へお水を流し込んだとたん、胃がキュゥってなる。

ルーティンを考えなくてもできるようなれば、イレギュラーが際立つ。ルーティンで起こるエラーやリスクに対して耐性が向上する。調子がよかったら「起こるかもしれないイレギュラー」を事前に感知できそうな錯覚におそわれる。「あっ、今日はお腹がキュゥってしそう」って水を飲む前にわかる。

医療費控除の文章がむずかしい。医療費控除の制度や手順を書くだけなら、国税庁のサイトを紹介すればよい。そうじゃなくて、目的は歯科医院で自由診療を受診してもらえる動機付けであって、その手段のひとつが医療費控除であり、制度のメリットを「やわらかく」訴求したい。

すべて自然歯である口腔の価値がもっとも高い、ということをわたしたちは知ってもよいと思う。それはあたまりまえの状態ではなく、砂上の楼閣である。もろくこわれやすい。

自然歯が壊れたら、修復費用がかかってもやむを得ない。それぐらい自然歯の状態というのは高価なんだ。

そして、修復すればそれで持つわけないこともわたしたちは学んでもよい。ものを手入れしなければもたないのと似ていて、お金をかけて治してもらっても、手入れしなければもたない。歯にかぎらず、「手入れ」という行為を身近にたぐりよせてみてはどうだろうか。

靴の手入れ、洋服の手入れ、家や部屋の手入れ。所有物から自然の手入れへ。山と家々の境界線、これも手入れである。山を手入れする人が減り、手入れの技術が継承されなくなって、境界線は消えてしまった。動物が里へ闖入して互いが困った事態を招いてしまう。

正法眼蔵随聞記 四 二 世間の女房なんどだにも

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.237

「作ス事の難キにはあらず。よくする事の難きなり」の意味を理解できない。することがむずかしいのではなく、立派にすることがむずかしいのだと。

ここで使われている立派は、辞書に書いてある意味と読むのだろうか。そう読むとますますわからない。唐突な感じ。

ここで立派がでてきたから、立派の意味を調べてみた。何気なく使っている単語の意味をあらためてみると吟味せずに使ってしまっている。単語の意味を知って、その単語の使い方を吟味するようになり、結果、語彙は増えるけど、会話で使えなくなる。皮肉だ。

何気なく使っている単語のニュアンスは、みんなと同じ(と思い込んでいた)。そんな情況から脱出できたら、ひょっとして違うかもって感じられる。その瞬間、語彙の奥行きは伸びる。奥行きのなかに独善がそっと忍び寄ってくる。

語彙の奥行きが伸びたら、言葉って意味を交わしているのじゃなくて、「交わしている行為」自体に価値があって、「交わる」ってヒトの本性に深く関わっているんだって思えてくる。

何かを言っているための言葉じゃなくて、「交わる」ために言葉があって、単語の意味に惑わされちゃいけない。

出家か在家かって仮の名目に囚われてはいけない。仮の名目をとっぱらったときに現れるほんとうの性をつかみとらなければならない。

なぜ記憶のあなたと交わっているの?