昇進

2011.09.16 くもりのち雨

ロウキーが沖縄へ接近している。台風の影響か、湿っぽい。ときおり強い風、昼過ぎから雨が降り出した。午後から頭がぼぉっとして、キンキンしてきた。たぶんカフェインのせい。24時間ちかくカフェインを摂取していない。カフェイン断ちを挑戦したときと同じような症状。たばこをやめるより難しい。

ウェブサイトのテキストの特異点をひとつあげるとしたら、何が思いつく? やっぱり「検索エンジンにヒットしてもらえるように書く」かな。

街頭のチラシや店舗で受け取る紙媒体などを読むと、訴求したい要素が多すぎるって感じる。配色やフォントはさておき、文章の分量と訴えたいコンテンツのバランスがおかしい。

“INDIAN CURRY”と刻印された皿とカレー。もし、”INDIAN CURRY”と刻印されていないとしたら?そのかわり「最初の一口は甘いのに食べていけばいくほど辛くなる不思議なカレーで食べたらやみつきになる」ってテキストがお皿のまわりにぐるりと印字されていたら? 食欲がうせるな。

ウェブサイトのテキストも写真と似ていて、SEOを意識しだすと、一つのコンテンツに多数の要素を盛り込んでしまって、文章の分量が増える。文章の分量と検索エンジンのヒット率は、一概に比例していないみたいだ。

写真撮影の本には、「被写体を際立たせること」って書いてある。旅先で写真を撮影するとき、アレもコレも構図の中に入れてしまいがち。結果的に何を撮りたかったのかあやふやになってしまう。記念写真は、足までいれるよりも思い切ったバストショットのほうがよいシーンも。風景を撮影する時も、「何を際立たせたいか」で、構図を決める。

19:00からM先生のミーティング。大阪駅で途中下車して“つぶやきのクリーム The cream of the notes” 森 博嗣 を購入。スタバで“あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)” 長谷 敏司 を読む。あと少し。ゾクゾク感がとまらない。

20:00にミーティングは終了。(演じなければならない、演じているはず、演じようとしている)役割は、そろそろ終わりにむかっていると認識する。2009年9月からだから24ヶ月。20%の貢献はできたと自己評価している。高めの評価は30%。どの医院でもどうにもならない要素は20〜30%ぐらいあるから、差し引き40〜60%は貢献しきれなかった。

正法眼蔵随聞記 四 五 宋土の海門禅師

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.246

「昇進を望み、物の首となり、長老にならん事をば、古人是レを恥ヂしむ。ただ道ヲ悟らんとのみ思ウて余事有るベカラず」とある。

道を悟っているといわれる僧であっても、「後堂首座の地位をお許しくださいますように」と海門禅師へ頼みにくる。禅師は涙を流して嘆き悲しんだ。僧は恥じ入り辞退したけど、”あえて任じられた”。後の人のためにこのできごとを記録して自らに恥をかかせて、禅師の言葉を顕彰したかったからだ。

昇進や出世を望まない。そういうこころは恥である。いまに照らし合わせられるようなテーマじゃない。ひとつ納得できた。「師の言葉を顕彰するために記録して自らに恥をかかせた」という行為。

自分を捨てよ、という教えなら「恥」も捨てるのかな? 恥はかかえて、そのほかの感情や欲望を捨てよなのかな? いずれによせ、「後の人のために」という気持ちがなければ記録に残せないと思う。これは自利利他なんて行為じゃないと私は解釈している。

「私は何をしなければならないか」の私をメタ認知した行為ように思えた。それは「誰か」がいなくては認知できない構造なんじゃないかなぁ。