diary

自分の喜ばせ方を知っている人の生命は躍動している

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カラオケに行くとやたらノリがよくって楽しんでいるツレ。歌詞を勝手にかえたり、音をアレンジしたり。踊ったり。タンバリンをリズミカルに叩くツレ。

ツレといっしょにいくカラオケはとても楽しかった。社会人になってカラオケに行ってもちっともおもしろくないから行くのをやめた。だってよそよそしいし、みんな「ひとりだけの世界」を持っているから。

なんでだろ? って思っていたら、あるとき、気づいた。「あっ、オレもコイツみたいに楽しみたい!」ってツレのカラオケは思わせる。ツレのノリを体感したらカラダがカッカしてくる。

自分が歌っている時、誰かが歌っている時、どっちでも「ひとりだけの世界」に入らないし、常に自分か誰かにむけて何かコミュニケートしている。ツレは誰かを喜ばせようって思っているんじゃなくて、誰よりも「自分を喜ばせたい」と思っていて、自分がどうすれば楽しく感じられるかを知っていたと思う、たぶん。いま思い返せばの偽造記憶のお話として。

高校、大学のころ、弟の部屋へ入ると、「なんでこの部屋はセンスいいんだろ」って思った。弟はギターをひいたり、バイクや車をいじるのが好きだったらしく、休みの日はとにかく何かいじっていた。現在35歳の弟は、休みになるとサーフィンらしい。それも近場ではなく、九州や関東とか平気で往復する。その先々で友人がいるとか。我が弟ながらステキだなぁって感心する。

ぼくは仕事の話よりも与太話や遊びやら宇宙とか摂理の話が好きで、そんな話を聴かせてくれる人と出会うとワクワクする。で、そういう人たちは例外ないってくらい、共通項があって、それは「自分の喜ばせ方を知っている」わけで、話はうまいし笑顔ははじけている。

話はうまいっていっても、テクニカルの意味ではない。木訥な方がひとたび口をひらいてたどたどしい口調で話す「コンテンツ」そのものが煌びやかだ。しなやかで奥行きのあるコンテンツはその人からしか聞けない「コト」なんだ。

だから、それらと「逆の人」であるぼくは、羨ましく思う。羨ましいからってヘンなレトリックで距離を置いたりしたくない。懸命に追いかけて、あの人たちからこぼれおちてくる生命の滴を掬いとりたい。

自分の喜ばせ方を知っている人の生命は躍動している。

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