霞ヶ関を歩きながら足元を見たらそこが世界の中心だった

どうしてコンビニがないんだ?

官僚の人たちはコンビニへ行かないのか?

そうか、ひょっとしてテナントビルがないのか?!

日曜日の霞ヶ関は静寂で、警備の警察官から声をかけられないかドキドキしてカメラを構える。内心は声をかけてほしいって思っているのにさ。

日本の中心がどこにあるのか知らないけれど、誰かにとってはココは中心なんだろう。

35階から池袋を見下ろせば、古い建物と新しい高層ビルが同じ時系列のなかに存在して、ビルのすぐ隣は家だったりするフレキシブルな町並みがステキだ。公園に足を踏み入れたら生活があり、この人達の文化のほうが古いはずなのに、高層ビルや新しい建物や先端がはじめからそこにあったかのようにふるまっているから、なんだか異次元の空間へ闖入してしまったような錯覚を体験した。

公園があり、通りがあって、町のしきたりや暗黙のルールが隠れていて、トレンドの建物やコンテンツが生まれ、物珍しい街へ変貌して、誰かが行きたがる場所であっても、そこで生活している人には昔からある場所、そして、ひょっとしたらそこから「外」へ行ったことなんてない人だっているかもしれない。

池袋の路地裏を歩いていたら、突然、声が頭のなかで響く。

「Fさん、ごぶさたしてます。Kです。いやぁ、このたび独立して市議会議員の選挙に立候補することになりました」

「そうか、ようやく大将から独立やね、市議会議員に当選したら次は府会議員ですね。おめでとう」

すでに当選が決まったかのようにぼくは笑う。

「まだですよ。気が早いでっせ。それでね、この間、KさんやIさん、Fさん、あと……」

高校の後輩は中学時代のツレの名前を次から次へと連呼して近況を報告してくれる。ほとんどのヤツが瓢箪山から「外」へ出たことがない。なかには切符の買い方を知らないヤツもいる。強烈な連中たち。

ずっと池袋の人と中学のツレには、世界の中心はワシントンや北京ではなく、池袋だし瓢箪山なんだ。

霞ヶ関を歩きながら足元を見たらそこがぼくにとっての世界の中心だった。

中心は足元にころがっている。

いつも動いている。