非分

2011.09.26 東京 曇時々雨

Bar Stone Pauement
*RICOH GR DIGITAL II *28mm f/2.4

06:20すぎ起床。35階のカーテンを開けたらそばにそびえ立つさらに高いマンション。カーテンの開いている部屋の中が見える。新宿方面や東京タワーの付近に高層ビルが立ち並ぶ。見下ろすと昭和から変わっていない家並みが揃っている。

学生時代に3回、社会人になってから何度か東京へ来た。東京はおもしろいなと思う。はじめは苦手だった。人の密度を基準にしていたから。視点をコンテンツに切り替えたらおもしろく感じはじめた。ほんと、おもしろい。新旧の建築や新しいテクノロジーを体験できるし便利だ。

ユニークなコンテンツは人を集める。ユニークはメジャになり得るしマイナにとどまることもできる。マイナでユニークなコンテンツは一定数のファンを引きつけて離さない。09.25の日比谷野音のように。

東京はアウェーだから、異質を気づかせてくれる。夜、ふらりとはいった路地裏の居酒屋で注文したら、周りの人はチラって見てる(ように感じられた、自意識過剰かもしれないけれど)。隣の若い男女は笑っていた。全国から人がやってくる場所ではあるけれど、訛りはまだ珍しい?

国会議事堂前の手すりは、もともと彩度の低い緑色なのに目の前の手すりは違う。元の色を確かめたければ誰もさわっていない箇所を見ればよい。委員会が開催される部屋か、控え室だったか(忘れた)、それらがある廊下の大理石の壁は、ある高さの部分だけ一直線に変色している。はげている。記者たちが壁にはりつくから腰の位置で壁の質感はかわっている。議員をつかまえてインタビューするために壁にもたれて待つ。はりついて部屋の様子を伺う。

テレビで見かけるおなじみの光景なのに、ディテールへ視線を移動したとき、「思いもよらない」現象に遭遇できた。

これが想像力なんだ。説明を聞いてそう感じた。実際に目にふれて理解できた現象を、見ないでも思い描ける人がいると思う。図面とパンフレットと写真から、人のディテールを描いて、周りに与える影響を考える。「思いもよらない」起こっていないコトへディテールを派生させる。それが想像力である。

私が描いているのは過去の映像の再生にすぎない。過去のデータを取り出して大まかな部分だけ編集して思い描いている。想像力ではない。

正法眼蔵随聞記 九の(一) 学道の人は先ずすべからく貧なるべし

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.263

「中々唐土よりこノ国の人は無理に人を供養じ、非分に人に物を与フる事有ルなり。[…]人皆生分有り。天地之レを授く。我レ走リ求メざれども必ズ有ルなり」を読むと、ちょっとばっかし根拠のない戯れ言が頭によぎる。

財宝を持つな、資産を貯えるな、この国の人は分不相応に人に物を与えてしまっている、って教えが民の意識の根っこに植え付けられてしまっていたら、平等に対する強い希求や欧米とは異なる路上生活者へのふるまいなんかが納得できる。根拠はまったくない。

宗教を信じるか信じないかは個人に帰属していて、どちらであっても個人からそれ以上の存在に影響を与えていなと確認している。でもその確認を「信じて」しまっていて、確認は幻想だとわかっている。ほんとうは、どちらであっても、こういった教えが「全体」へ何かしら影響を与えているような気がするな。