diary

謗讃

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2011.09.27 晴れ

Facebookをはじめて3ヶ月経過した。とりあえず登録して中身を見ておこうと思った。あと、企業のFacebookページを勉強しておきたかったので。自分から友達を探していない。現在、5名の方を登録している。みなさん連絡をくださった方ばかりでありがたい。

このプラットフォームは何年続くかな?

あきっぽいので5年もしないうちにほかのプラットフォームへ引っ越すかもしれない。ひとつ問題が残る。関係性を別のプラットフォームへ持って行けない。

Facebookにしてみれば、ユーザー数を増やして、ユーザーが関係性を強化してくれるようなサービスを用意して、別のプラットフォームへ移動させないようにする。とにかくパイを大きくしなければならない。

ユーザは複数のSNSに同じコンテンツをアップしない。大半の人は一つのSNSにコンテンツをアップロードしている。アップロードしたコンテンツをみんなに見てもらいたい。「つながり疲れ」がちょっとぐらいあってもつながっていたい。

20〜30年後(そんなにかからないかぁ)には、SNSは公的な空間に変わっていくんじゃないかなぁ。それまでに関係性を維持したまま別のSNSへ移動できるプロトコルが開発されると思う。GoogleやFacebookにとったらそんなバカな話があるかって阻止するだろうけど、両社を凌ぐ発想が出てきてもおかしくない。

もし積極的にSNSを使っているなら、いまでも関係性を維持できるならGoogle+へ乗り換えたい。インターフェースがわかりやすいのとGoogleのサービスへ依存しているから連携しやすくて便利だから。

19:00からF先生と打ち合わせ。16:00前に出発して大阪駅で途中下車、スタバでカフェインを摂取。診療が終わってスタッフのみなさんが集まってきた。20〜30分ほどミニミーティング形式で議論が進んだ。わずかな時間でも黙って観察してれば情報を収集できる。データは多ければ多いほど分析に入力できるのでありがたい。

22:00前に終了。現場を存じ上げないので、議論が具現化へ向かうと、そこから先の意見を展開できない。展開できないからハングアップする。ハングアップが恥ずかしいから、抽象的な議論へ逃げ込んでしまう。自分の悪い癖、否、行動様式。院長先生に申し訳なく思う。

正法眼蔵随聞記 四 九の(二) 学道の人多分云く

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.268

世間を基準にしていると、これをやると世間の誹りを免れないからやめておこうと躊躇する。他方、あれをやれば世間が褒め称えてくれるからやっておこうと思うようになる。だからといって世間に背を向けて自分のやりたいようにやればよいかといえばそうでもない。

正法眼蔵随聞記は禅の教えだから、基準は仏道であり、世間の善悪の標準で仏祖の道を判断してはいけないと何度も強く諫めている。

禅に限らず自分の言動を観察して分析したら得心が行く。人の言うことを聞いているようで、聞いていない。自分の考えを押し通している。言葉では押し通さず黙っている。自分が正しいと信じて実践する。

気の合う人には笑顔で接し、気の合わない人には強ばった笑顔で接し、気の合う人から邪険にされたら拗ねて、気の合わない人から邪険にされても気にしない。

気、なんだ。

持っている知識を使って、さらに他人の話を受け売りして自分の正しさを説明できたとしても、情理を尽くせたとしたても、それらは言いつくろっているだけで、根本は気なんだ。

気ってなんだ?

そんな実体のないものに振り回される周りはどんな気を抱えているんだろうなぁって我が事ながら気になる。

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