diary

思惟

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2011.09.29 晴れ時々曇

葉物野菜が高騰気味。ほうれん草や小松菜が高値水準。台風や豪雨の影響かな、軽く傷んでる。しょうがない。量を減らして値を下げて売るけれど、見た目がスカスカの野菜を手に取ってみたくならず。高値でも適正な量で販売したほうがよいような気がするけれど、やっぱり値段なんでしょうね。

脳出血リスクを高める虫歯菌が特定される | スラッシュドット・ジャパン サイエンス を読む。

「わかりやすく伝える」を再考している。先日、『孤高のメス』のDVDを見て、構図を感じた。構図がわかりやすさのポイントかな。

広告制作やウェブサイトの制作でも通用する。

「わかりやすさ」と書くと、「では、わかりやすさとは何か?」と定義したくなる。それは一昔前の私。でも、「わかりやすさとは?」とやること自体が「わかりにくく」している。

『孤高のメス』の構図は二項対立の勧善懲悪。ハッピーエンド。専門用語を控えて、なんとなく耳にしたことがあるような病気がスクリーンに映し出される。物語は具体的で明瞭だから迷うシーンも少なく楽しめる。

手術シーンでは、何をやっているのか知らない映像があるけれど、物語に影響を与えないから流して見られる。

一つ一つのシーンは、医療行政、大学病院と地方病院の関係、医療倫理、脳死判定、医師の功名心など、ややこしい背景を隠している。専門家や関係者の方々がご覧になったらもの申したくなる箇所もあるはず。

それらの背景を分解して要素に分けて構造化して、構造を抽象的な言語に置き直して、普遍的な言説へ思考を展開する行為が、概念化や思想化の作業だ、と想像する。

概念化や思想化の作業自体をスクリーンで描写してしまうと、人物関係や論理構成の辻褄が合わなくなるし、2時間で判定できる要素でもない。あくまで「物語」に徹している。

あれだけシンプルな構図をわざと作ったように感じた。複雑にからみあった医療の「問題」をからまったまま描写せずに、「とにかくもっとも伝えたいこと」だけに絞って、そのほかの要素は削ったんじゃないかな。原作を読んでいないから想像として書いているけど。

シンプルな構図が、かえって背後の複雑な現象をえぐり出す。

わかりやすいというは、「構図」を明確にして、「もっとも伝えたいこと」に絞って、簡単な単語で伝達する「表現の結果」かなって今はぼんやり考えている。

わかりやすいように制作するとき、シンプルの意味を取り間違えず、王道しかないと注意している。「釣り」は使わない。釣りと強調の境目をはっきりさせて、強調をコントロールする。

正法眼蔵随聞記 四 十 某甲老母現在せり

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.270

いよいよ四も終わり。あと五と六。ゆっくり読み進める。読んできたページを何度もさかのぼる。四の十を読み、「いかなることであっても、やるのは自分であり、最後は自分で判断しなければならない」と受けとめた。

「能々思惟すべし、是レ一の道理なり」の言葉。

自分を偽るのは自分であり、例え偽り続けられたとしても、その自分と最後の最後まで付き合うのは自分だなって、ここ数年強く感じる。

感情の起伏を抑えて、穏やかに静かにしたい。そう願うだけではダメだから行動しているつもりなんだけどできていない。できないのは自分であり、人と会えば耳障りな甲高い声を張り上げてしまう。制御できていない。制御しているのは自分だから、自分の制御方法に欠陥がある。その欠陥を分析して修正する。

制御と分析と評価と修正。生活とは4つを衒わず精確にくり返す”コト”、なんだって感じる日々。

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