diary

厚衣

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2011.10.13 曇

自分自身を偽り続けられるほど寿命は長くない

椎名林檎の「カーネーション」を聴いた。いいね! ボタンを押したい。タイムトラベルした感じ。普段はiTunesのラジオでジャズを聴いている(そういえばもうジャズの季節か…..)。たまにradikoにきりかえてFM80.2。音楽は生活の礎。記憶の羊水に浸かり過去を甘美の夢に書き換える。

iPod Touch(4th generation)とiPad 2をiOS 5へアップデートしようか迷う。13日早朝から日本でも配信された。エラー続出の報告がtwitterのTLに流れる。躊躇。

Facebookのノートに、「これからのウェブサイトの設計はアプリを前提にしよう」というテーマで私見を書くつもり。iOS 5の新機能は200以上にのぼる。なかでもiCloudはポストPCへのスタートと感じた。PCがいらなくなる時代。と書いてもまだ先のお話。現実はパソコン市場は依然拡大中―トップはHP、LenovoがDellを抜いて2位に浮上(Gartner調べ)

新機能、iMessageを使えば、F先生とメールを使わなくてよくなる。短い文章ならiMessageで充分。AppleのなかではSMSは死んだ。Flashが死を迎えつつあるように。

アフォリズムには、たまにふれるぐらいが効果的である。毎日ふれたら言葉を味わう感覚が麻痺する。警句、金言、箴言などを集めたサイトや本を頻繁に読んでいたら、読んだだけで満足する。それらが紡ぎ出された文脈を追体験するための生活は、はじまらない。

言葉を味わう感覚に麻痺した人は、「本心を偽るためだけに、言葉を使う者がいる」(ヴォルテール)ようになり、「人は、他人に対して自分を偽るうちに、ついには、自分自身に対して偽る事になる」(フランソワ・ド・ラ・ロシェフコー)わけで、そして「愚かなる行いのほとんどは、 相手を苦しめる事で快楽を得るのは人間だけなのだ」(マーク・トウェイン)と思う。

言葉で人を操ってきた人は、言葉が紡ぐ空想の世界へ墜ちてゆき、やがて「思想と現実の狭間、衝動と行動の狭間に陰がさすのだ」(トマス・スターンズ・エリオット)であって、「欲望と実行の狭間、潜在と実在の狭間、神髄と墜落の狭間に陰がさす。こうして世界が終わる」(トマス・スターンズ・エリオット)のかなと想像する。

19:00からF先生と打ち合わせ。9月から週一回のペースで訪問している。議論を重ねて実効策を列挙する。アイデアから実効策への変換を支援する。実効策を列挙できたら着手できる策から実行する。今日は、スタッフのTさんをまじえて小児の診療プロセスを洗い直す。やらなければならないことを決めた。同時に、それによって生じる問題点がひとつ。

詳細は書けないので抽象的な表現にとどめている。手応えを感じる。

使えるツールと新しく作成しなければならないツールを整理する。年間の収益を達成するために、1チェア単位の点数を設定する。計算ありきではない。そこをはきちがえると医は算術になってしまう。医院の診療を実現するために、私は冷静に客観的に計算する。計算と分析の結果にもとづいてやらなければならない作業を列挙して、メリットよりデメリットが上回るタスクは削る。

正法眼蔵随聞記 五 五 俗人の云く何人か厚衣を欲せざらん

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.291

「何人か厚衣を欲せざらん、誰人か重味を貪らざらん。然レども、みちを存ぜんと思ふ人は、山に入り水にあき、さむきを忍び餓エをも忍ぶ」とある。

立派な服を着たがらない人がいるだろうか、おいしい物を食べたがらない人はいるだろうか。反語で問いかける。誰だってそうだかもしれない。なのに道を選ぶ人がいて、苦しみに耐え忍ぶ。

365日のうち364日苦しく、1日だけ楽しければ、楽しさはいつまでも記憶に残る。身体に刻み込まれる楽しさなんだろうと想像する。実際は、そんなに極端な生活ではない。人はそれぞれ普通に苦しんでいる。苦しみのグレードはあるかもしれない。あったとしてもグレードに関心はない。「苦しんでいる」という事実で充分である。他者の苦しみを自分の感情のなかに置き換えられない。

自分の体力が続く限り黙って寄り添う。

死に際に家族以外の人が少し近いところにいてくれたら、それが寄り添えたんだろうって思う。

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