diary

威儀

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2011.11.02 晴れ

4年前、彼女は手術を受けた。私は彼女の病室へ通って1時間ほどおしゃべりして帰る。4日目、彼女は一枚のハガキを見せてくれた。病室から望む景色が描かれていた。絵の表現力に触れた瞬間。彼女の眼にはこんなふうに映るのかって感じた。1時間の間に交わされる数百の言葉よりも一枚のハガキが目に焼き付き記憶に刻印する。

そのとき聴いていたアルバムは“コリーヌ・ベイリー・レイ リミテッド・エディション” コリーヌ・ベイリー・レイ で、お気に入りは”Put Your Records On”。いまでもこの曲を聴くとアタマのなかで映像が再生される。音楽と記憶は親愛なる関係。

ヒトはどんな経緯から音楽と絵を創造したんだろう。私は音楽をやらないし絵も書かない。聴く、見る側。音楽を好きかと言われたら躊躇する。周囲で見かける音楽好きの人に比べたら質量ともに劣っている。ましてや、音楽をやる側の人に対してアタマで解釈するなんて失礼すぎる。どんな場であっても、音楽を創造している人は、感情と向き合っていると慮る。

絵に対して心が打たれたり涙を流すような繊細な感覚を持ち合わせていない。どんな絵でもぼぉっと眺めている。街中で絵を描いている人はステキだなぁ。どんな絵でもかまわない。絵を創造している人は豊かな空間を大切していると想像する。

イオンのレジで並んでいる時、すぐ前の女性がとてもかわいくて見惚れてしまった。ガン見は失礼で怪しい行為と承知している。のに、ついつい見惚れてしまった。

女性はビールを1本精算していた。レジの店員さんが抽斗からA4のシートを取り出して彼女に提示した。

年齢確認らしい。確認のシーンを初めて見た。確かに童顔であるけれど、自分には20歳未満に見えなかった。彼女はお財布から証明書のたぐいを見せて声に出して読んだ。’78年。卑しくも暗算してしまった。愚かなワタシ。

見逃さなかった。

お財布から証明書を取り出すとき、うつむき加減の彼女はニッコリしていた。家政婦は見た気分である。ちょっぴり嬉しそうな感じの笑顔でそれがまたドキンってさせられてしまった。なんだろ、私のようなオッサンが実年齢より若くみられたときのドヤ顔的ガハハ笑い顔ではなく、恥ずかしさと嬉しさが絶妙なバランスで釣り合った微笑。

正法眼蔵随聞記 五 九 俗人の云く、城を傾くる事は

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.319

「城を傾クる事は、うちにささやき事出来るによる」とおっしゃる。味方の中に内証事が出てくると城は危うくなる。一家のうちで意見が対立すると針を買うこともできないけれど、対立がなければ黄金でも買える。

互いに悪いところは注意をしあい、よいところはとりあって同じように学ぶ。

あたりまえの事だ。なのに実践できない。どうしてだろう?

誰々が何々をすると非難している人が、他者から自分のふるまいを注意されても改めない。無視するか、言い訳するか、言い返すか、ふて腐れるか、泣くか、怒るか。どこの集団にもある光景。

やがて注意されなくなり、他者を非難することをあきらめる。それぞれが見えない境界線を引いて見える距離感を示して、「互いに悪いところは見過ごして、よいところをわかってくれる人」が互いにくっついて、その中で他の悪いところをささやき合う。

先日、正法眼蔵随聞記を読了した。孤独はかけがえのない尊い大切な存在だって痛感した。孤独と向き合っていける心を涵養したいな。

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