diary

俸禄

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2011.11.11 雨のち曇

今日はQueen of Soul ARETHA FRANKLINのナンバからI NEVER LOVED A MANでお目覚め。圧倒的な声量が頭をビビッドカラにして一日がスタート。

11/10(木) 19:00からF先生の院内システム構築ミーティングに参加。先生とスタッフの議論を観察。

午前中、議論された内容をまとめる。私が制作してきた業務手順の資料を修正。議論を観察してひとつ気づいた。資料のデザインを再考しなければならない。資料のユーザビリティがよくない。私は業務手順を「動作」で理解できていない。そこにデザインの落とし穴がある。

議論の「言葉」だけを拾い上げてまとめて、資料を見やすく配慮できたとしても、「動作」の視点からデザインできていない。作り直した方がよい。タイムリミットが迫っている。実際の運用がスタートしてから修正していこう。現場を観察しなくちゃいけないね。

ここ2ヶ月、ミーティングの前にHさんと顔を合わす。働き始めたときから存じ上げている。変わった。毎度、私の顔を見たら挨拶してくださる。今の挨拶には衒いがなくさわやかで心地よい。挨拶の抑揚と間が、適度な距離感を演出している。彼女から学ぶ。

F先生とは私が開業して以来お世話になっているから8年になる。8年間、それぞれのスタッフの方の挨拶を拝見してきた。どんなふうに変わってきたかを観察していた。

「変わった」と私は知覚する。「じゃぁ、なんで変わったのかな?」と先生の話の端々から要素を検証する。あくまで私だけが感じる変化である。他人がどう感じているか知らない。その点は考慮していない。

16:00すぎに大阪へ出発。大阪駅で途中下車して用事をすませて19:00からM先生のミーティングに出席。

そろそろ契約を終了させていただこうかと思案中。2年前、M先生から依頼があった。それに対して約30%ほどの成果を出して役割を果たせたと自己評価。私の役目はもう終わってよい。潮時だと自己評価。

正法眼蔵随聞記 六 三 俗人の云く財はよく身を害す

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.337

財宝は身をそこなうものである。昨今流行っているシンプルライフや知足とは異なる意味だと思う。

お金は大半の問題を解決できる。書籍やネットで散見される主張に私は同意する。自分が持っている持っていない関係なく、前提をそう設定しているし、互いに理解できそうな人であれば、お金の話をストレートに申し上げる。「お金」について率直に話し合えるほうが、本音と建前より健全だと認識している。

以前、お金じゃないという人ほどお金に執着していると書いたけれど、自戒を含めて皮膚感覚的にそう感じる。お金の抽象性は批判するけれど、お金の具体的で些末な点に執着する。そんな風に感じる。

気をつけないと、このスタンスは誤解を招く。お金が全てと受けとめられかねない。ひがみやねたみ、下品だと思われる。すべて自分のふるまいに寄与するから、そう受けとめられても他者を責めない。

六の三はそういうニュアンスではないように思う。財宝は身をそこなう話は何度か出てくるけれど、何度読んでも理解できない。シンプルライフや知足の視点ならば理解できるが、そんな矮小化された概念ではないと思う。かといって、まったく持たず、真の最小限に抑えよであれば身も蓋もない。

正法眼蔵随聞記のなかでも「持たない」ことに関する話は、いまの自分には到底理解できない次元の思考を展開している。

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