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悪口

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2011.11.18 曇のち夜半雨

今朝はSuperflyからAIN’T NO CRYBABYでお目覚め、一日がスタート。身が引き締まる声。室内の寒さを吹き飛ばす。

第五十七候、金盞香。疲れたら山芋をすりおろして食べる。効くのかどうか知らない。言い伝えを疑わず、儀式みたい。習慣っておもしろい。

Googleで「人格 性格」と入力した。続けて「 違い」が自動的に表示された。親切だ。人格と性格について専門家の解説を聴きたい。人格攻撃というけれど性格攻撃といわない。人格障害はあっても性格障害といわない(私の周りでのお話)。人格は攻撃の対象であり障害を被るが、性格はそうではないらしい。

あなたの長所と短所について教えてください。そう問われたらどう答える? 長所は腹七分目で食べています、短所は禿げてます、と答えよう。そういうことじゃない、おちょくっているのか、と逆鱗に触れる。

長所と短所。ひとつの事実に付随している行動パターンにすぎない、と私は思う。コインの表と裏だ。みんな一枚のコインを持っている。目の前にいる人のコインは私に対してどちらを向けているか? 長所が向けられているときもあれば、短所が向けれられているときもある。

長所と短所は等しい関係だ。そう認識している。なのに長所はプラス、短所はマイナスのイメージを持つ。倫理や常識やらが持ち込まれるからだ。一枚のコインは分けられる。長所は1万円に、短所は1円に。10人中9人は1万円を選ぶ(はず)。

倫理や道徳や常識という価値判断の基準が、長所と短所を優劣と好悪の対象に変えてしまう。愚かなことである。そう理解している。していても、人の短所を垣間見たときのドロッとして湿った気分はコントロールしづらい。あれ、どうして短所と判定してしまうんだろう?

問題が起きる。原因がシステムやプロトコルのエラーではなく、当人の長所と短所だとしたら。はたして問題かな? 問題の原因は当人の言動だと10人中10人が認定する。そして言動の根本は当人の人格か性格に起因しているとしたら、それは問題に設定できるだろうか? くわえて当人自身が己の「行為」と「言葉」について自己認識できていないとしたら? 問題の前提が存在しない。

私にも自分で認識していない長所と欠点がある(はず)。周りの人は見て見ぬふりをしているか、嫌な思いをさせている。運が良ければ誰かが忠告してくださる。それでも認識できずに改善できない「行為」と「言葉」はある。

人の振り見て我が振り直せ。では人の振りが想像を絶していて、理解不能であり想像の埒外だったら、我が振りを直せるだろうか。そんなふうに考える。自分の持っている「短所」のコインが、満場一致の致命的な欠陥だとしたら…….。とてもこわい。だけどそれはあり得るんだ。

16:00前に出発して大阪駅で途中下車。パソコン工房でHDDの価格を見て度肝を抜かれた。世界がリンクしている実感。頼むからいまHDDは壊れないでほしい。ただひたすら祈る。19:00からM先生のミーティング。20:00終了。困惑の連続。

正法眼蔵随聞記 六 七 ふるく云く、君子の力牛に勝れたり

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.349

悪口をもて人を云ヒ、怒目をもて人を見る事なかれ、とおっしゃる。他者より知識がすぐれていても議論すべきでないし、口ぎたなく人をののしってもいけない。怒った目で人を見てはいけない。

さらに最後の一文にまいった。誤読しているかもしれない。いまの世間の人は財宝をたくさん与えて恩を施しても、怒りをあらわにして口ぎたなく非難すれば必ず手向かう心をおこす、と。非難と悪口は自らの評価をおとしめる。他者にかなりのストレスを与える。

そしてもっとも恐ろしい点は、非難と悪口を言っている自分を私自身が認識していないこと。こう書いていても、自分が悪口を言っている自覚がないと想像しただけでゾッとする。

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