diary

遺恨

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2011.11.28 曇

真っ暗な朝、多和田えみのNaturallyでスタート。今年は“SINGS” よく聴いたなあ。マイお気に入りゾーンの内角低めって感じ。

第五十九候、朔風払葉。枯れ、冷える。なくなっていく景色が好き。無から有への円環を感じる。紅葉をちゃんと見ておらず。見られるときに見ておかないと。

椎茸とほうれん草でレーズンバター炒め。バターの塩分をいかして少しだけ塩をたしてあとは胡椒で味をととのえる。薄味でうまくいった。ほんのりレーズンの甘さが残っていてうれしい。

オリジナルのカバーはむずかしいのでしょうか、むずかしいんでしょうね、そう思いたい、ぜひ。近ごろラジオからカバー曲が流れてくれるので耳を傾けると、どうもカラオケに聞こえてしまう曲がいくつか。私の聴力の問題? そうだろうなぁ、でもね、自分で吹いた口笛を聴くと鳥肌がたって身震いするほどの音痴であると自覚できます。聴力は正常値に近いはず。

2週間ほど前、皇子山陸上競技場周辺を散歩していたら高校サッカー滋賀県大会の準決勝、守山VS守山北をやっていたので外から観戦していた。延長後半に守山北がゴールを決めて決勝進出、そのまま野洲を破って全国大会へ出場したらしい。

声援が外まで聞こえてくる。ボールの行方を追っかける歓声のウェーブがステキでした。ああいう時があったなぁって思い出させてもらった。

来年早々には不惑。20年前、大学のキャンバスは喫煙できた。吸い放題。いまからふりかえれば、吸わない人は談話室へ近寄りたくなかったはず。休憩時間、廊下の灰皿でプカプカやりながら授業を待つ。周りを気にせずなんの疑問もなく吸っていた。

それがいまやキャンパス内全面禁煙とか。キャンパス全面禁煙か分煙かの議論、私は不可知論を選択したいけれど、そうはいかないとしたら、やっぱり「よい」方向へ向かっていると思いたい。

早いか遅いかはあるけれど、おおむね私はそういう点に楽観的。物事はよりよい方向へ進んでいると思う。昔のVTRを見たら川にゴミを捨ててるし街は汚い。そういった負の部分を取り上げずに19xx年代万歳、どうなんだろうね。いまから20年後、泥酔している人は駅のホーム立ち入り禁止になってるかも、とか妄想する。

「選別」って発想はより研ぎ澄まされていくような気がする。正邪好悪の価値を含めて。

正法眼蔵随聞記 六 十三 先師全和尚入宋せんとせし時

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.364

長い、むずかしい。明融阿闍梨がいまわの際で、入宋しようとしていた明全和尚に言った。「死出の旅路を見送ってもらいたい、わたしが死んでから入宋の望みを果たしてもらいたい」と。

それを受けてのやりとりが記されている。結局、和尚は入宋を中止しないで渡航した。なぜか?

六の十三は、仏法を学ぶときの考え方に対する本質を提示していると感じた。字面をおって読めば意味は理解できる。でも、物事の考え方として理解しようとしたら立ち止まってしまう。

自利と利他。この二つの単語だけですら一生かかっても身につけられない考え方が目の前にあるような怖さを感じた。

自分の身体から言葉がどんどん剥がされる、いままで身につけてきた知識が知識でなくなって単なる記号になってしまう、いま使っている言葉が安易に使えなくなる、そんな恐怖を正法眼蔵随聞記は感じさせる。

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