百尺

2011.12.15 晴れ

今朝はStrawberry Switchbladeから”Since Yesterday”でお目覚め。80’sのコンビレーション・アルバムで耳にされた方もいらっしゃるのでは。冒頭のイントロって日本の曲でも「うまく」利用されているような気がしないでもry

アルバイトの資料入力、F社のサイトの改編、M先生のサイトをリニューアルが重なっていくぶんタイトな感じ。タブレットとスマートフォンから閲覧はデフォルトになりそう。

第六十二候、くまあなにこもる。ヨーロッパ人に生まれたら春菊を食べなくてすんだかもしれない。美味いという人はいらっしゃるし、鍋のあしらいにかかせないと鼻息が荒い人もいらっしゃる。私はダメだ。

“リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間” 高野 登, “帝国ホテル 伝統のおもてなし” 川名 幸夫, 帝国ホテル ホテル事業統括部, “9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方” 福島 文二郎 などサービス系を代表するビジネス本。

現場の各スタッフが、ひとつの局面を判断して行動する。不思議です。各人が個別に判断する。バラバラなコトをしでかしかねない。なのにバラバラにならず個別の行動がうまくまとまって、「感動のサービス」や「ホスピタリティ」と評される。

3.11、ディズニーランドのスタッフは備蓄の物品を配布した。園内の人を適確に案内して混乱を抑えたと聞いた。マニュアルどおりの行動だったのだろうか?

リッツ・カールトンのワオ・ストーリーの事例を読む。個別の判断と行動がそろっている。そろっているけれど画一的じゃない。各自のユニークと組織のユニバーサルがリンクしている。

どうして「個別に判断」して「全体の視野にたって行動」できるのだろう?

共通点は、「考え方」の共有だと思う。根本的な考え方だ。ヒトやコトに対してどう考えるか。その道筋と基準がはっきりしてわかりやすいと想像する。はっきりしてわかりやすく表現できるまで議論を緻密に積み重ねてきただろうし、道筋と基準を書き換えるためにいまでも議論を重ねていると想像する。

経営者や幹部だけが「考え方」を共有していない。あまねく共有できる表現が求められる。徹底的に共有する。

考え方の共有は意味の共有ではない。TwitterやFacebook、メールを携帯端末から利用できるようになって、「意味」は迅速に伝達される。迅速に伝達された結果、携帯端末には「意味」が記載された大量のテキストが流れ込んできた。大量の意味テキストは業務に支障をきたしている(欧州最大のIT企業、社内電子メールを廃止 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム)。

意味を関係者に伝達したらホウレンソウが完了して、考え方が共有できたと錯覚する。行動の「予定」や「結果」を伝達しても考え方は理解されない。

正法眼蔵随聞記 六 二十一 古人の云く百尺の竿頭に更に一歩を進むべし

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.393

自分を離れるお話。まず自分とか、名誉とか、利益とか離れなければ、いくら出家して過酷な修行を積んでも無駄な時間をすごすだけだとおっしゃる。まず自分を離れよと。

道心して僧になる。いつしか指導者になる。すると仏になろうと思わないで、自分の位が高いこと、寺での地位が高いことを分かってもらおうと思ってしまうようになる。ありがたがられ供養されることを望んでしまう。

他方、そういうものに執着しないでただひたすら自分の身のために仏道を本気でやっている人がいる。これは一見すると、ほんとうの仏道修行者かと思われるが、そうではない。結局は、「自分」のことを考えている。

まだまだ「自分を離れる」がわからない。とんでもなく難しい。