diary

住処

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2011.12.16 晴れ

19:00からM先生のミーティング。大阪駅で下車。iPadでルート検索。約4kmで47分の表示。本屋によって“アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))” フィリップ・K・ディック“魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題 (講談社選書メチエ)” 西川 アサキを購入して出発。歩く時間は贅沢だ。いまや少しでもはやく目的地へ到着する手段を探す。

寸暇を惜しんで働く。高度経済成長期とは異なる生産性の向上。寸暇を惜しんで(情報を)集める。寸暇を惜しんでは、ときに我を見失わせてしまう。

歩けば本を読めない、できることは限られる。そう思っていた。いまは違う。街並みの設計が目に入ってくる。インスピレーションがわく。見ているようで見ていない。歩きながら考える。歩きながら考えがまとまってくるし、考えが拡散して収拾がつかなくなったりする。

本を読めないし携帯を見ないし音楽を聴かない。削り落とされた状況がもたらす思考の時空。

道中、50〜60代とおぼしき女性がiPhone 4(s?)のGPSを使って目的地までのマップを見ていた。ステキだ。そういう環境がやってきたんだなぁ。

先日、M先生のところのYさんがiPhone 4sを購入した。わけがわからないかもと心配そうだった。いくつか質問された。でも、大丈夫って私は思っていた。今日、お会いしたとき、慣れてきましたとおっしゃっていた。そういうもの。「そういうもの」になるデザインとUIでなければ受け入れられない。ほんとにすばらしい環境がやってきている。

スマートフォンがある世界とない世界のどちらかを選べと問いかけられたら躊躇なく前者を選ぶ。ただし、新しい技術と環境に向き合う「仕方」を自分で獲得しなければならない。さもないと、列車にひかれて死ぬ、階段から落ちて大けがする。時には他者を巻き込む。

デジタルとアナログ、オートマチックとハンドメイド、技術と自然など、対立させる人はいらっしゃる。耳を傾ける。愚かだと一蹴していた。二項対立の意見を封じ込めない情況は健全、といまは思える。思うが同意しない。ただそれだけのことと納得する。

「仕方」は自分で獲得して涵養していけばよい。それが自律だと思う。

19:00からミーティングがスタート。20:00すぎに終了。1年の振り返り。昨年から変化があった部分とない部分。来年の目標設定とその目的。

一年間、紆余曲折があった。何があれM先生とスタッフのみなさんは、私にとってユニークでオリジナルの存在である。その存在に対する礼節がある。礼節を保ち続けなければならない。他者評価はコントロールできないけれど、自己評価は厳格に運用したい。さもないと礼節を欠く。甘えはかけがえのない存在を損なう。

「技術」の向上という。具体的に何だろう? 45分の作業を30分に縮める。縮められたら技術の向上だろうか? 技術を向上させようとするとき、どんな問題を設定しなければならないか?

いま自分がいる地点を知る。現在地。「地図」がなければ現在地を示せない。誰が地図を作成する?

自分が何を知らないのか、を省察して具体的に言い表し、それらを知るには、どこへ行き、何を手に入れてどのような手順をふめば自分の知らない現象について理解できて体得できるか、が「地図を作成する能力」だと思う。

地図を作成するには、「用紙を上から眺める自分」がいなければならない。おぼろげであっても「全体」の見取り図を持つことが求められる。

正法眼蔵随聞記 六 二十二 衣食の事兼ねてより思ひあてがふ事なかれ

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.398

「雲のごとく定マれる住処もなく、水のごとく流れてゆきてよる所もなきを、僧とは云フなり」とある。乞食する場所についても、もしも食べるものがなくなったときには、あそこで托鉢をしようと思えば、それは前もって心づもりしておくことであり、道理にたがい正しい生き方ではない。

「いま、ここ」は言葉でめぐらせても詮無いことかもしれないと感じた。身体しかない。ままよ、とも思わず、瞬間の積み重ねで行を積む。

ひょっとして「時間」から解放されることが「はじまり」かもしれない。

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