2011.12.21 薄曇り
正法眼蔵随聞記の引用が終わったので記事のタイトルに悩む。昨日までタイトルを考えなくてよかったのでいきなり書きはじめられた。オープンよりクローズドの質問が答えやすいように制約は思考を柔軟にさせるかもしれない。
他者を観察する。同時に他者から観察されている。意識は当方から先方への一方向の観察だと思い込む。思い込みがエスカレートしたらクリティカルシンキングから遠ざかる。
意識は一方通行を好みやすいか? 自分が進む方向から相手がこちらへ向かってきているという理路を辿りにくい。
気の置けない人や好意を抱いている人に対してつつがなくふるまい抑揚が効いた声で話している。反対の人に対しては目はふさぎがちで声のハリが消える。そんなシーンを見聞する。私が対立軸のフレームを好んで採用しているから、相手のふるまいがあからさまに違っているように私の目に映り、違うなぁと勝手に思い込んでいるだけもある。フレームの数を増やせば、自分の視点を書き換えられる。
何気なく書いた言葉が相手の癇に触る。裏を返して、相手が何気なく書いた言葉が癪に障ってイライラする。イライラがヘンな感情をブートする。誰もブートした感情をシャットダウンしてくれない。自分で終了しなければならない。はじめからブートさせなければよかったと後悔したら無限ループがスタートしそうだ。
怒りや苛立ちは物事を解決しない。自分の感情を損なう。損なった感情は「ヘンな記憶」を刻み込む。「ヘンな記憶」は「イヤな記憶」よりも思い出しやすい。ランダムなタイミングで想起する。「あぁ、あのとき……」という言葉がヘンな記憶をイヤな記憶へ改変してなんとか閉じ込めるけれどなかなか封印できない。
はじめからなにもしなきゃよかったんだ。そういうもの。それがわかっていたのに自己陶酔したいためにやってしまう。やってから思いもよらぬ反応を受けてイラッとする。
感情がソフトウェアだとしたら、ひとつひとつの「感情」はアプリケーションに見立てる。怒りや苛立ちのアプリケーションをOSからアンインストールして安定させる。
不正攻撃や不正アクセス(=相手の言葉や相手の態度)に動揺しない。LANやWANで接続されていても「他人(ひと)は他人(ひと)、私は私」なんだ。やっかいなことがひとつ。アプリケーションを削除しすぎたらOSだけになってしまう。だからアンインストールしないでアップデートで対応しなくちゃいけない感情があると思う。
とはいえ、OSも古いままだと動作保証できなくなる。ソフトウェアも作動しなくなる。アップグレードしなくちゃいけない。成長は嫌いで小学生の書き初めが苦手だった。目標や豊富を書きなさいに戸惑った。いまも変わらず。
自分のOSをアップグレードして自分のアプリケーションをアップデートする。ダウングレードもあるだろう。感染されていてもおかしくないし、自分も誰かをDoS攻撃している。
ハードウェアが壊れたおしまい。自明である。手入れしておきたい。“健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 (角川Oneテーマ21)” 内田 樹, 春日 武彦 という言葉を気に入っている。