表裏が一体なら理解できるのに

2012.01.13 晴れ

TED Presentation

photo credit: jurvetson via photopin cc

O先生のサイトに掲載している全症例を印刷した。昨年からコツコツはじめて三が日で仕上げた。お渡しする準備にかかる。いままでふと思い出しては印刷する案配だったので、何を印刷したか不明で、またサイトから削除した症例があったりして管理できていなかった。そこで一新してルールと印刷の様式を決めてイチから印刷した。先生曰く、効果があるので楽しみにお待ちくださっていたみたい。

症例印刷を院内に置く。表現のひとつである。印刷物を綴じるファイルや見せ方はデザインと強く関わっている。自由診療の収入や新規患者を増やしたい。じゃぁ、どうしましょう? 「知識を提供する」が俎上に載せられる。ではどう提供しますか? パンフレットを配る、ポスターを貼る、という意見が多い。で、そのパンフレットやポスターは? どうして「知識を提供したら増える」と思うんだろう。

チェアサイドや待合室をデザインする。ウェブサイトと連動させて配布物を制作する。どこかの壁に最適な情報をとけこませる。来院者が気づくか気づかないかの狭間を設計する。強制的に気づかせる情報と関心があれば気づく情報。

表のサイトに「thinksell パワポ」や「think プレゼン」のキーワードで。[Review]: ひとつ上のプレゼン | THINKSELLがヒットしている。定期的なアクセス。リピータかもしれない。そのわりにキーワードが微妙に違う。それと「シンクセル」や「think(sell)」がついている。ご覧いただいてる方々のなにかに「ヒット」しているんだろうなぁと思う。

14:00前に出発して大阪駅で途中下車。昼間割引切符を購入して、再度乗車。O先生に印刷物を届ける。本屋で“小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則” ジェイソン・フリード, デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンを購入。“小さなチーム、大きな仕事―37シグナルズ成功の法則 (ハヤカワ新書juice)” ジェイソン・フリード, デイヴィッド・ハイネマイヤー ハンソンの新装版。こちらも読んだが再読もかねて購入。大阪へ引き返す列車で読み始める。

大阪駅からM先生の医院まで歩く。約45分。最初は寒いが次第にポカポカしてくる。車中で読んだ内容を考えながら歩く。

削る。強くそう思う。シンプルであること。

いまやっていることはほんとうに必要か? 人を採用する前に必要かどうか吟味しているか? 優秀な人材であってもすることがなければ不要な人材なんだ。雇用するために業務を増やしているかもしれない。既存顧客の要望を受け入れすぎて新規顧客を逃していないか? 規模や量、世の中の見方に囚われすぎていないか?

少し早めに到着したのでベンチで続きを読む。読了。

19:00からM先生のミーティング。20:00すぎに終了。21:00すぎに医院を失礼した。今日もスタッフの方からすばらしいことを教わった。私が教わっている、なんてお粗末な話で恥ずかしい。

私は自分自身のことがもっとも見えていない。自分自身のことが見えていないのに他者の場へ臨んでさまありなんを語っている。時には他者に対して意見まで申し上げる。そういう仕事を自分で選んでやっているんだから何をいまさらなんだけど、どうしてだろう? なぜそれをしているんだろう?

謙虚ではない。多罰的だし人に対して嫌悪感を持つ。「勉強」している人がある瞬間ほんのわずかに現す「あの目線とふるまい」に触れたら強烈に抵抗する。被害妄想だと承知しても、それを見せたらその人と公式の場以外ではコミットメントしないようにする。同時に私は他者へあの「目線」を投げつけ「ふるまい」をぶつけていないだろうかとこわくてしょうがない。

言葉は刀だ。言葉は人を傷つける。そこまでは理解している。でも、さらに理解しようとしているだろうか? 言葉で傷つけたときあやまる。謝罪は事を収めた、と私は胸をなで下ろす。「申し訳ない」という絆創膏をはる。絆創膏をはっても傷つけた人の傷口はずっと残っているかもしれない。

ナイフで自傷して包帯を巻いて血(=一時的な感情)を止められたとしても何度も傷つけた箇所には傷跡が残っている。それは蓄積された感情。言い表せない思い。