遡行

2012.01.19 曇のち雨

今朝はMartha & the Vandellasの”Heatwave”でスタート。Phil Collinsのカバーバージョンも好き。このへんの1960年代モータウン系は高校・大学時代の音楽の原点ですなぁ。いまでもちょくちょく聴く。

“24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録〈上〉” ダニエル キイス を大学の時に読んだ。当時の衝撃は大きくストレートに受けとめてエキサイトした。いまは判断を留保している。医学・科学的な多重人格の存在を知らないしわからない。

でも、レトリックとして使われる「二重人格」は存在するかもしれない。否、こちらもわからない。「よくわからない」コトはある。内田樹先生の「緋色の研究」の研究 (内田樹の研究室)を思い出す。「遡行的な推理」を試す。失敗する。そもそもその推理の「仕方」を知らないので袋小路に入り込む。

結果に対して説明できる要素を原因として特定しない。「うまく説明できないもの」を探す。結果に対する前段の文脈を案出する。

Aの出来事が現場で発生する。現場に居合わせた人から事情を伺う。同じ質問を別々の人にぶつけてる。帰ってくる答えは異なる。解釈するからだ。ひとつの出来事に対して複数の解釈がある。理解できる。複数の解釈から事実を構成する。事実の前段を仮説する。前段の文脈を構成する。

一個の玉葱の薄皮を各自が違う方向から剥いている。各自は剥いた皮を手にしてどのように剥いたかを話す。私は各自が剥いた薄皮を拾い集める。薄皮のめくり方を確認しながら玉葱の中身を取り出す。可能なかぎり同じ中身を見られるように試みる。

解釈の一致。そこへ近づけたら僥倖だ。

この方法を適用できない事由に遭遇する。Aの出来事が現場で発生した。私は現場に居合わせた人から事情を伺う。当事者のPがA’の解釈を述べる。P以外の当事者たちはBの事実が発生したかのように話す。A’やA”の解釈ではない。複数の事実が存在する。ひとつの物理的出来事であるはず。一つの空間に二つの出来事が同時に発生したみたいだ。

事実とは各自がもっとも理解しやすい出来事を選択した共同幻想だと思う。

事実がひとつだなんて断定しない。ひとつとも思わない。ただ、同時刻に同一空間で複数人が見ている前で発生した一つの出来事に対して、「かくも異なる見方が存在するのか」と驚く。解釈の領域を超えて別世界を知覚しているかもって疑える「見方」である。

そこから「うまく説明できない」ものを選んで事実の前段を案出できるだろうか? 悩む。「うまく説明できない」より「まったく説明できない」コトなら選択できるのに。

探偵が犯人の人物像を10人の関係者から聴取する。5人は「最高の人」と褒め、5人は「最低の人」と罵る。極端でありえない話を仮定しているのを許してもらえるならば、そんな乖離概念に接触している。

乖離概念への接触が「言葉の情報」と「体験の情報」を同一の記憶に保存しようとしてバグを残してしまう。バグは「二重人格」という幽霊を生成して私と折り合いをつける。