diary

鈍感な健康よりも敏感な虚弱でありたい

Leave a comment

2012.01.23 曇

今朝はAmbrosiaの”Biggest Part of Me”でスタート。早朝の暗闇でAORを聴いたら朝っぱらからシングルモルトを飲みたいぞ。起床時間は夜中、丑三つ時に目が覚めたら何を飲むか迷うってエッセーか何かを読んだの思い出したのに誰だったか思い出せない。身体はゲットアップなのに頭はミッドナイトドリンク。

冬将軍が23日からやってくると耳にして気合い入れて布団から這い出たら室外気温は7℃であった。なんだ、大丈夫やないか。身体の緊張を解く。油断した。数時間経過して事態をのみこめた。最低気温から上昇しない。寒さが堪えまする。そうか、最低と最高の温度差がゼロに近ければ寒さの体感は増幅するかも。

RSSを眺める。ストレッチや筋トレ、肩こりや背中の痛み、目の疲れの記事はホットエントリ入りしやすいのな。みんな同じ事で困ってるっぽい。同じ事をしたいんだよ。腹筋割やちょい細腕筋しなやかとか。私もやってみたい。視力が回復するなんてエントリーに弱すぐるの巻。

疑似科学と科学の境目健康系記事もホットエントリ入りしやすいのな。ヨーグルトの菌がお腹にとどく、コラーゲンで美肌、マイナスイオンでhogehogeやら。「おまはんとこの開発部はあないな広告をだしよってからに平気ぞな」と問うたら「あれは営業部が勝手にやらかしてるだけやさかいに堪忍してたもっせ」なんて会話が東京の居酒屋で呑んでたら聞こえてきそうだ。

Facebookでちょこっとコメント入りで流したが、上半身と下半身の軽い軽い筋トレを10〜15分したあと半身浴で20分ほど浸かる。風呂のなかで汗だく。風呂上がりにストレッチ。22:30ごろにまぶたが重くなり就寝。05:00ごろに起床。そんな毎日(とまではいかない)。だいたいそんな感じ。

ヨーグルトを食べとるし野菜をなるべく摂取する。キノコ多め。牛はよほどでないかぎり食べなくなった。食べなくても困らなくなったから。豚と鶏は食べる。牛は食べないのに豚と鶏を食べとる。理由を説明できん。内食では魚の造りを選ばなくなりつつある。が、焼き魚と煮魚は食べよる。造りは食べないけど焼きと煮るはアリの理由を説明できん。国産が安全で外国産が危険というパターンがいまいち理解できない。なのに国産をなるべく選ぶ。心理は論理に勝る典型的な行動を選択している。ここにも「自由意思」はないのでしょう。

“人はなぜエセ科学に騙されるのか〈上〉 (新潮文庫)” カール セーガン で騙されたままが健全であるかもしれないわけで、見分けられる人は騙される人をあざけり資産運用で大失敗している様をヨーグルトとコラーゲンをぐびぐびやっている人が資産運用に大成功とかシュールレアリスムなパラレルワールドを結構好いておるわけで。それも金が基準であり、「金ではない」という口が「金に執着している」かのふるまいを招き入れるアイロニカルなリアルを認知している。

米寿を迎える人がいる。頭は健全である。背中は曲がり己の肉体を意のままに動かせなくなってきた。認知症の兆候が現れはじめた連れ合い。連れ合いは己の肉体を意のままにあやつる。頭と肉体のちぐはぐがすれちがう日常を営む二人。あるとき「あんまり長く生きるのも」と娘にもらし、吐露された娘は「そんなこと言いはんねん」と涙を流しながら息子に語る。三代のつながり。

いつまでも長生きしてほしいと願う<他者>とほどほどにしたいと思い始めた<私>。<他者>と<私>のメタな絵図を眺めながら私は二つの<他者>にどう接したらよいかわからない。戸惑いとためらい。

生と死に常に向き合うほど私は鋭敏ではない。一年に一回、何気なく向き合えたら仕合わせだ。そんな仕合わせ者がふと思う。「数値目標を設定して身体を動かし食物を食べて思念のない日数を賽の河原のように積み重ねる」と「身体の至るところが綻びていく過程をするどく感じながらいまを怠惰に存在する」のどちらかを選べと尋ねられたらどちらを選ぶだろう。あるいは両方とも選ばないとしたら両者を超越する「生活」を自ら編み出し営めるだろうか?

鈍感な健康よりも敏感な病弱でありたいように、学習が己を成長させると信仰するより懶惰が己を律すると理解していたい。

It\'s only fair to share...Tweet about this on Twitter
Twitter
Share on Tumblr
Tumblr
Pin on Pinterest
Pinterest
Share on Facebook
Facebook

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。