diary

MUJIっぽい簡単なやつでと言わないで

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2012.02.04 晴れ

立春。二十四節気、旧暦の正月。暦の上では春といわれてうなづけるような天気。今週続いた寒波ほどでなくなんとなく春を感じさせる。鰆が頭に浮かんだ。なぜかは知らぬ。第一候、東風解凍。

大津パルコまで歩く。距離3.5km。到着時の腹ペコ度95%。coco壱番屋カレーでランチ。グランド・マザー・カレー ライス200g, 辛さ+2を食す。美味。会計事務所にお世話になっていた頃、上司のNさんにバイクで同行しまくっていて、月一ペースで食べた。Nさんの初期設定は400g。見るたび、おォーと内心さけんでいた。私は無理です。あの時ですら300g。いまは300gも無理です。

MUJIでシャツとネックシャツを購入。品質はさておき商品の外見と設計はねられているなあ。いまだにMUJIはデザインされていない=簡単なやつ、と思われているなんて耳目したらとうがらしを目に入れてさしあげようかしらと妄想してしまいますが、シンプル=簡単なのでしょう、一般的な認識は。

ウェブサイトもしかり。MUJIっぽいサイトで簡単なのをお願いします、って依頼された(されたことないけど)らシュールストレミングを嗅がせてあげようかしらと妄想中。あの系は難しい。余白をコントロールできたらウェブサイトの腕があがったと自覚してよいのではないか。そんなふうに思う。

柳宗理氏のバタフライツールやミルクパンはどう受けとめられるんだろうか。美は主観的である。そぎ落とされた構造に美を感じる人がいる。縄文土器の装飾に美を抱く人もいる。両方が美であるともいう。美を棚上げできたら問題の設定は、縄文土器から弥生土器の変遷の背景だろう。いかなる文脈が装飾をそぎ落としたのかと思い巡らせる。

カレーはいかがか? ミーハー的カレー好きの私はカレーときけば種類を問わず食べたくなるが、無類の筋金入りのカレー好きは、種類にも一家言を持っていらっしゃるかもしれず。はたまた究極のカレーは具なし、それが皿にもられた姿がもっとも美しいと恍惚の笑み浮かべる人がいらっしゃるのではと。

大津パルコにはMUJIとユニクロが並列しているから比べやすい。どちらがよいわるいではなく、どちらも店の意志が設計されている。どうやって「売る」かと何を「売る」かの意志が空間に明示されている。意志は商品や見せ方、店内の導線に現れる。

消費の欲望と自学自習の欲望は質量ともに異なるんだろうけどれど、どちらも「欲望のスイッチ」をオンにしてくれる環境に出会えば、欲望は人を受動から能動へ切り替える。その点は共通していると思う。

自分がコミットメントしている集合体の空間は、来訪者の「欲望のスイッチ」をオンにするような環境だろうか?

ポスターを貼ってパンフレットを並べるのは記号の陳列だ。紙媒体の効果を否定しない。紙媒体だけでは来訪者は記号の意味を理解できない。文脈が記号の意味を来訪者へ送信する。ポスターやパンフレットは文脈を形成しない。かかわっている人のたたずまい、言葉づかい、集合体の知識の奥行き、空間全体の雰囲気、現場のシステム、情報を送信するタイミングなどなど、抽象と具現が融合された「中身」が来訪者の感情と身体を刺激できまいかと考える。

もう言葉は出尽くしているし、これからも出続けるだろう。一体感、たった一言それで表現すればよい。

ひょっとすると、「そうか、一体感なのか」と理解できて満足している空間が多いかもしれない。ならば同意しなくても実行する方が一体感へ近づくだろう。

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