コミュニケーションはごみ箱へ捨てました

2012.02.16 晴れ

本日はサスケ “青いベンチ”でスタート。この曲は好きすぎだなぁ。もう歌詞のような想いをあの人へ届けられないから、あの「感情」への強烈な懐古が身体に保存されているんでしょうね。刹那ではなく、最後はひとりであると強く強く思います。

目が充血状態でアルバイトの資料を入力。なんとか見えてきた。終わらせられそう(結局、終わらせられた)。そういえば個人事業主の所得税確定申告の受付が始まった。自分の申告は気楽である。あとは決算仕訳を調整したらおしまい。来週早々に提出できるでしょう。算出された所得の現実を直視したくありませんが (>_<)

“岩波講座 哲学〈1〉いま“哲学する”ことへ” 岩波書店 の「経験批判としての臨床哲学」を読み終えて、F先生からご教授いただいた 。やっぱり精神現象学の序論だけでも読まないと文脈を掘り下げられない。 “精神の現象学序論―学問的認識について” G.W.F.ヘーゲル を購入。自分なりになんとか解釈を切り取らないと「経験批判としての臨床哲学」を読み込めない。

16:00前に出発。大阪駅で下車。大阪マルビルのスタバでフレッツ・スポットへ接続してみる。前回同様快適。いまのところ外出時はフレッツ・スポット環境で間に合いそうであるが、いずれWiMAXも視野にはいってくるな。ポストPC時代の「常時接続」の意味は変容している。コンテンツの提供の仕方、すなわちメディアを変えなければならない。すでにウェブサービスを利用するのにブラウザを起動させる時間が減っている早期の適応者もいるでしょう。

19:00からF先生とミーティング。予防システムと院内の啓蒙用のシステムについて議論。方向が定まったので来週から週一ペースで伺って具現化へ動き出す。抽象概念や経営理念、目標や目的の議論を積み重ねるのはやぶさかではない。しかし、「カタチ」に変換できなければ画餅である。画餅に満足してきた人々を何度も目にしてきた。たくさんの本を読んでたくさんのハウツーをまねて「カタチ」にする。そういう手法を以前は批判していたけどいまはどうでもよい。その人がやりたければやればよいと思う。それで成功したケースはある。私はその「領域」にコミットメントしないだけ。

デザインの根本はカタチを体感してもらい、体験から経験に変換させる「行為」にあると思っている。

21:00前に終了。スタッフのI氏がお腹が空いたとおっしゃったので食事へ行くことに。先生はご帰宅なさらなければならないもようでお別れして入店。入店先はWi-Fiが使えたのでFacebookにチェック・インを残した。念のために先生に報告という意味で。

I氏とミーティングでだしてくださるコーヒーについて論じる。コーヒーを題材に「コミュニケーション」を議論する。コミュニケーションはごみ箱に捨てたので、コミュニケーションを使わずに「コミュニケーション」を定義しようと問題点を俎上に載せる。

「それはコミュニケーションの問題ですね」というフレーズはなにも問題を提議していない。論理循環している。“残像に口紅を (中公文庫)” 筒井 康隆 はそのフレーズの陳腐を実験していると思う。

I氏が送信した「言葉」を私は受信する。正確に受信していない。証明するために「言葉」の意図はいくつあるか述べていただいた。3つあった。私はそのうちの1つを感受して「言葉」を復元して解釈した。残りの2つを感受していなかった。送信された「言葉」をすべて受信していたが、残りの2つ感受していなかったから「言葉」を完全に復元できず解釈から漏れた。

わずか数十個から構成された単語群の文章をI氏が送信した。私が受信して送信者の意図を内包した情報を完璧に解読しようとすれば、送信にかかった時間より数倍の時間が必要である。さらにひとりではできない。ひとつひとつ相手に確認しなければならない。ならば現場で交信している情報の意味を復元しようとしたら膨大な時間が必要である。そんな時間を他者と共有できない。たぶん不可能だ。

他者は11次元から言葉を発信しているかもしれない。他方、私はそれを理解するために次元を落とす。受信は私の「フレーム」に依存する。私の3次元の世界であり、ならば残りの8次元はどうなるのか?

ペダンチックな言葉遊びでオナニーしたいからあたりまえのことをさもありなんふうに書いただけ。あたりまえのできごとは私をきちんと絶望をもたらしてくれる。あたりまえはすばらしい。

早退した私に、同僚が「昨日はなんで帰ったの?」と尋ねたとき、私は「電車で」と回答する。こんな送受信があたりまえに発生している。


Comments

“コミュニケーションはごみ箱へ捨てました” への2件のフィードバック

  1. imaduのアバター
    imadu

    コーヒーの題材を1番に出されたのは、あまりにも素敵すぎました。楽しい時間をありがとうございました。

  2. こちらのほうこそどうもありがとうございました。ああいうときの時のながれははやいですね。不思議です。