diary

言葉巧みに踊らされケ・セラ・セラ

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2012.03.02 雨のち曇

今朝はEminem – Lose Yourselfからスタート。世界中で売れまくったナンバも好きでたまに聴きます。アーティストはなにかしらのナルシシズムをあざやかに表現するなぁって感じます。自己愛のパフォーマンスが胸熱。

朝から雨。天気の移り変わりに一喜一憂して春へ向かう。おだやかな陽射しばかり続くとそれに馴れてしまう。洗濯物が干せない苛立ちと農作物へ恵みをもたらす畏まりは均衡をたもっている。見える秩序は見えない無秩序を隠している。

なれる、は慣れると馴れる、狎れる、熟れるがある。意味が異なる。なれましたか? と尋ねられたとき、「馴れる」や「狎れる」をあてない。たいていは「慣れる」をあてはめる。慣れるから狎れるへ変容しても「集合の内側」にいれば知覚しない。馴化。

周囲の環境から影響を受けて適応していくうちにいつしか周囲の環境へ影響を与える。環境と私はおたがいに作用する。作用が環境と私を更新する。環境になれましたか、と言う。環境がなれましたか、とは言わない。

慣れるは習慣のニュアンスを含む。馴れるにはない。馴れ、はなじんでうちとけるであり、馴染みのお店といい、吉原では三回目以降の客をいう。初会から裏、そして馴染み。“吉原御免状 (新潮文庫)” 隆 慶一郎 が詳しい。馴れは合いとつながって馴れ合いという。否定的・批判的な意味で使われる。辞書をひくと男女がなれあうこと、野合とあり、もともと否定的な意味ではない。

朝食のあとに歯を磨く。就寝前に歯を磨く。昼食後の歯みがきを忘れる。忘れるのではなく歯みがきしない。理解していてもやっていない。自宅で仕事しているから歯を磨ける環境である。外出時に歯ブラシを持って外で歯を磨く方々はたくさんいる。「環境」と「習慣」の関係。定期健診で磨き残しを指導される。帰宅後、意識して歯を磨く。翌日、「いつも」の歯みがきにもどる。またふとしたきっかけで「ちがう」歯みがきの動きになる。

風呂上がりにストレッチをする。ひとつひとつの動きを確かめながらゆったりからだを動かす。するとからだの部位の痛みや心地よさがときおり違う。毎日、丹念にストレッチできない。数分でもいいからやるようにしている。なにもしなかったときは寝るときに「頭にきちんとストレッチがよぎる」ほど意識して寝る。

習慣には消極的と積極的の二つの側面がある。消極的は無意識と、積極的は意識とリンクさせると理解しやすいと思うが、ことはそう単純ではないだろうとも思う。積極的な習慣は変化を察知しやすいから自覚してフィードバックできる。自己変容のプロセスをメタ認知できる。消極的な習慣では難しい。

そして両方の習慣が馴れたとき、やっかいだ。毎日の腹筋・背筋、たまにやる腕立てとスクワットから実感。惰性でやっている。習慣が馴れてしまっている。腹筋は身体を曲げる行為に近い。なぜならたまに「違う」腹筋をやると腹の内側の負荷を実感する。背筋も同じである。

「あっ、また同じことをやるな」と脳か身体か知らないけれど「事前」に察知して、「それ」の動きにあわせてしまう。だから騙さなければならない。ふだんとは違うやり方で「うぁ、いつもと違う」と「何か」を騙せたら身体は悲鳴をあげる。が、ここで騙しているのは誰か? という“ユーザーイリュージョン―意識という幻想” トール ノーレットランダーシュの疑問がよぎる。まさかホムンクルスの小人が……そんなわけないと。

16:00前に出発。大阪駅で途中下車。マクドナルドでケミカルフードを食べてfacebookにチェックイン。目的地まで歩く。約40分弱。やや大股で歩いているからか、前日も最寄り駅手前で下車してF先生の医院まで歩いたためか足の動きがわずかに重い。重いといっても気怠い重さではなく足に適度な負荷がかかって心地よい疲れ。

19:00からM先生のミーティングに参加。ファシリは私。20:00に終了。最後にやや心配な要素を観察できた。沈黙。医院が「当事者」の概念をどう定義しているかによる。その概念に関する情報を私は収集できていない。よって観察の結果を検証できない。検証していない私見は実行力をともなわない単なる批判である。

週末、自分を楽しませないと。不調傾向が上昇中。

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