diary

私は評価に飢えている

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2012.03.20 晴れ

今朝はつじあやの “愛する人へ”でスタート。絶賛、粉モン警報中。食べとうてたまらん。

週末、O先生とメールでウェブサイトについて議論。午前中、最後の結論と実行策を書いて送信。先生は多忙を通り越して異次元へ突入していらっしゃる。週末は時間をなんとか確保していただけるみたい。いつも週末にメールでコンタクトをとってくださる。今回も丁々発止でわたりあう。

客観を保持して冷静に書いたつもりでもフランクの度はすぎてしまっている。最後のメールで、フランクの度がすぎていればご指摘くださいと書いた。ご指摘いただければありがたいと。

最後の返信を読む。私が先生に言いたいことを言えなくなったら先生と私の関係は終わっているよ、と先生は書いてくださった。週末の労が報われて目頭が熱くなった。

私はO先生に申し上げたいことを率直に素直にいつも申し上げる。反論も含め度を超した批判を書き連ねるときもしばしば。私の慇懃無礼をお構いなしに先生は議論を冷静に積み重ねる。

拝顔するのは年に数回。一度も会わなかった年もあった。メールでのやりとり。お会いしたらすぐ本題。メールでも同じ。「お世話になります」の次に「あの件ですが….」とスタート。最後は「では終わりましょう」でお別れする。回りくどいことは言わない、外形的な内容を書かない。

感情は優先順位の最下位へ置かれる。それが暗黙の前提。感情がコンテクストを邪魔しない。感情は控えめに装いじっとしている。プライベートな近況報告はなし。まるで互いに関心を持っていないかのよう。食事も終始仕事の話に没頭する。まるでTEDのプレゼンのようだ。

先生のスタンスはシンプル。いかにオープンで私と接するか。私の意見、とりわけ反対の意見をくみ出すために徹頭徹尾オープンマインドを保持していらっしゃる。その立ち居振る舞いに魅せられる。感服の至り。

先生の返信を読み、私は評価に飢えている、と感じた。自分を捨てられない。もっと空白をつくらなければ。私は空白をつくり他者は空白をうめる。外部評価が私の空白を書き換える。それが理想である。ほど遠い。

内部評価や自己評価との差異を確認したいから外部評価の言葉を求めている。動機は自慰である。外部評価はそういう存在ではない。外部評価は己を慰撫したり卑下するツールではない。事実が記載された他者の積み木である。その積み木をありのまま眺められる空白の自分を形成しなければならない。

12:00前に大阪へ出発。目的地一駅手前で下車して徒歩。13:30からF先生のミーティング。15:00終了。沈思黙考。自分が認識したズレを修正すべき否か迷う。保留した。終了後、約3km徒歩。私用をすませてデザインの探索。大阪駅で甘党まえだのみたらし団子を購入して帰宅。

大阪駅の周辺をながめると、巷でいわれる卑下が不思議に思える。卑下も自慢の中という。物質は豊かである。大津から大阪へ移動したら物量に圧倒される。反対に売れるんだろうか、と心配してしまう。余計なお世話なのに。物質を享受する側の設定に問題が発生しているのかな。そのあたりはわからない。

成長、という表現は使い勝手がよい。よいから使うし使われる。大阪駅の光景は使い勝手のよさを表現している。

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