揶揄して揶揄されて終油

2012.04.11 雨

今朝は DEXY’S MIDNIGHT RUNNERS – COME ON EILEEN でスタート。いかにも80年代って知ったかしてますが何も知りません。不思議なのは、こういうテイストをどうして80年代って感じてしまうか、ですね。やっぱりパターンがあるのかなぁ。

Twitterは140字でつぶやかなければならない。短いと感じるけど、いざTLの画面に向かうと自分の意見を140字にまとめてエッジを効かせるのは難しい。反面、他者のつぶやきはステキで羨ましく、なかには切れ味するどい140字にもお目にかかる。ほんとにすごい。

ネットのおかげで他者の知性にアクセスできる場が飛躍的に増えてうれしい。もちろん罵詈雑言はある。意味不明なテキストもある(自分のブログが筆頭)。

ネットを修養の空間としてとらえている。「成熟した公民」とは、端的に言えば、「不快な隣人の存在に耐えられる人間」のことである。とおり、不快な隣人の存在を認識する。そして僕が不快な隣人になっている。

数年前から自分の専門領域以外のコトについては感情的な反射や批判をなるべく口にしない、文章に書かないと自戒している。やってみたらかなり難しい。想像していた以上に鍛錬しなければ、吐露してしまう。今でも脊髄反射して凹むし、便所の落書きみたいな批判を書いて赤面する。

どうしてそう思うようになったかというと、ネットでそのような類のテキストを目にしたとき、格好が悪いと素直に感じたから。意見の表明をやめさせるような暴挙に出ないとしても、「あなたの意見はおかしいからまちがっている」みたいな訳が分からない文章を書くのに知識をこねくり回す。僕はそこに近づいてはいけない、って感じた。

メタに眺めたらこの文章も脊髄反射で感情的な批判だから、格好が悪い。

午前中、ついに右肩があがらなくなり、タイピングできなくなったので何もしなかった。4月にはいってからの身体の調子の変動と顎の不具合に難儀している。午後からF先生の資料を作成してメールに返信。環境の定義について私見を申し上げる。それらを書き終えた時点では右上半身がわずかに痺れてきたのでストップ。

ハードウェアとソフトウェアにはタイムラグがある。iPadが登場したとき、アーリーアダプタをのぞけば普及するまで多少時間がかかった。それでもその「時間」はめちゃくちゃはやい。ソフトウェア、iPadならアプリが揃うまで、アーリーアダプタ以外のユーザは使いづらい。

いまではiPadは様々な業種に波及している。先日、歯科で使うアプリを拝見して驚いた。誰かがやるだろうと思っていたけど、もう開発されていたのかと感心した。自分が想定している以上のスピードでプラットフォームが変化している。

新しく発売されたiPadの解像度は2048×1536。実機を見たら圧倒的。ほんとにPCのディスプレイで写真を見る気がなくなる。動画もこれで充分じゃないかと思える。一方で、この解像度の「すばらしさ」をユーザに十全に体感させるアプリはまだ出そろっていない。ゲームはそろそろかな。これからだ。それらが出そろったとき、どんな変化がやってくるか今からとても楽しみ。

たとえば写真を撮影して無線LAN機能付きSDからワイヤレスでファイルーサーバへ保存して、iPadからいつでもストレスフリーで写真を出し入れできるような画像管理アプリが開発されたら、写真に直接「情報」を書き込める。それが起点となってテキストを作成できたり、とか。プレゼン用、モデリングなどなど。たぶんFileMakerやBentoを使えばいますぐにでもできそうなんだけど、それを「業界用」にカスタマイズしたアプリがリリースされるかなぁ、と予測。