狂気狂喜共起

2012.04.17 晴れ

今朝は The Island – My Name Is Lincoln でスタート。映画のサントラです。この曲を聴きながら富士山のてっぺんから日の出を見たら幻視しそうだ。朝、落ち込んだとき”深夜高速”とあわせてよく聴く。

M先生からミーティングで何かしゃべってほしい、とのご依頼を賜った。右半身を休めるのもかねてぼんやりする。何かしゃべってほしい、というのがもっとも難儀だ。まずは「何をしゃべらなくてよいのか」について無限の選択肢の目録を作成する。無限の選択肢の目録は原理的に作成できない。不可能な作業をやっている。やっているように見せかけるために、見た目はボウッとしながら、わけがわからない状態を維持しなければならない。

わけがわからない状態とは、「頭の片隅に常に置いている」様。自分がニュートラルになったとき、「頭のなかの声」と会話する。これを準備とことわってよいのか知らない。紙にメモするとかレジュメを作成するのを準備だとしたら、そういったことはやらない。用意しない。「頭のなかの自分の声」と会話するだけ。この会話は唐突にやってくる。身体を動かしている自分は不意をつかれる。不意をつかれてもおしゃべりはできる。

「頭の片隅に常に置いている」と、身体を動かしている自分の目に入ってくる物や耳に届く音声が、「頭の片隅に常に置いている」”何か”とリンクする。リンクしたときに、「頭のなかの声」がスピーチする。たいていは脳内でスピーチしている自分の映像を、何かしながら僕は客席から眺める。聴く。料理しながら聴くと不味くなるから注意。聴いて反論や賛成を「別の声」でつぶやく。違和感や異論を問いかける。そういうやりとりをぼうっとしながらくり返す。

16:00すぎに出発。目的地一つ手前の駅で下車して読書してからF先生のミーティングに参加。19:30スタート。今回は諸事情によりテーマを変更。日歯でプレゼンされるので、プレゼンの内容を支援する。Tさん、K先生とiPadで動画を撮影。30分ほど打ち合わせした内容を撮影。TAKE1、TAKE2。TAKE2で撮影終了。完成度の高さに感心。K先生、すばらしいです。

もう一つ、撮影時間に驚いた。3分15秒だった。ここで「頭の片隅に常に置いている」”何か”がリンクした。「頭のなかの声」が聞こえる。なぜ3分の動画を撮影できたのか。台本を用意していない。質問を4つ用意しただけ。それも19:30にスタートして質問を思案した。それだけ。やっつけ感。なのに「3分ぐらいがちょうどいいな、3分でも長いかもしれないね」と言ったとおり3分の動画を撮影できた。

3分、という時間の「感覚」がスタッフの皆さんに培われている可能性を「声」がしゃべる。僕は偶然では、と「声」に返答する。「声」はたとえ偶然だとしても3分には何かがあるのじゃないか、と問い返す。頭のなかのやりとり。

 

CHERRY BLOSSOM
*PENTAX K10D *SMC FA 77mm f/1.8 Limited

「見たいものばかり見るのもいいけど、たまには見ていないものへ視線を向けてみたら」という声に従って自分撮り。

こういう時代、自分が死んだ後のコンテンツはどうなるの? とふと思いついたけど、たぶん後始末やメンテナンスのサービスはあるでしょ、と即答できたので意識からDel.