しゃべれば18分なのに120分かけて書く、なぜ?

2012.04.22 雨

今朝は、DJ Jazzy Jeff & the Fresh Prince – Summertime でスタート。Will Smithが若い!。「引き締まっている」と「痩せている」はちがうな。鏡を眺めてそう思う。加齢は引力の法則に従う。痩せているけれど、顎のラインや各パーツの細部はたれているもんねー。アスリートの体脂肪率10%と私の体脂肪率9%は雲泥の差。

二十四節気、穀雨。太陽は30度。穀物に実りをもたらす雨が降り注ぐ。ただ、ちょっと強めの雨じゃありませんか、と空に注意する。第十六候、葭始生。桜が散り、山野の植物の色が変わり始める。緑。朝掘った筍で筍ごはんを炊く。

あと筍とピーマンと豚肉を炒める。青椒肉絲もどき。あと、ほうれん草とワカメのおひたし。これにメバルでもあればと思うが、そんなに旬のものばかり食べてどうする。4月は仕事にならない。右上半身の痛みは続く。

夜、M先生からのメールへ返信する。約2時間。返信の内容を考えた時間を合わせると4時間程度か。返信を書き終えたとき、身体はバッキバッキ。あとは背中を休めるために寝転がって読書。“知識人とは何か (平凡社ライブラリー)” エドワード・W. サイード を再々読。

持論に適合しやすい物語は強い懐疑心で評価しよう。了解している。はずなのに持論を強化するもっともらしい物語に対しては気を緩めてしまう。いかん。

持続可能性の高い集団の「基準」を考える。観察結果を紙に書き出しマインドマップ。パターンはなんだろう? 有意差は? 集団のシステム設計の「基準」は、リーダからもっとも遠い位置で機能しているメンバか? 仮説を立てる。リーダからもっとも遠い位置にいるメンバは、思考や価値観、行動や能力などが異なる。異なるより正反対もありうる。ときにそのメンバの能力は集団内でもっとも低いかもしれない。そのパフォーマンスが最大限発揮されるようにシステムを設計する。そんなシステムを運用している集団が持続可能性が高い。

こう書くと、集団は優しい性質を備えていそうだが、僕はそう判定していない。たぶんクールな性質だ。見方によっては特定の個人に対して残酷かもしれない。学習を重ねても精神が成熟に向かわない、純粋な独善の人はいる。ひょっとして自分はどうだろうかと恐れているが。

集団であるかぎり、純粋な独善は存在する。良い悪いではない。ただ、人があつまったときの仕組みと比率は「そういうもの」だと思っている。だが、そういう人を切り捨てないで、フルメンバのいまある能力と技術を集めて、それらの総量からあたらしいものを生み出していくために試行錯誤する。それができる集団を想像する。

まだここまでしかまとめられておらず、これから先はおぼろげに映像が残っているけれど、今の僕がその映像を言葉に変換したら、批判になるし、湿った負のイメージが連結した文章になる。そんな文章は書きたくない。正も負もないドライな文章を書きたいので、もっと映像を細かく描写できないと。

身体が動かないのでF先生のウェブサイトの構造を紙にかき出す。リアルタイムで進行しているシステム構築と、昨年練りだしたプロトタイプのサイトのナビゲーションが、マッチしない。いまのシステム構築が完成して運用がはじまったら(一部ははじまっている)、そのシステムが来院者へもたらす影響を説明たいほうが訴求力は高い。そう判断した。システムを体感できるコンテンツに仕上げたい。