diary

口の尊厳死

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2012.04.25 晴れ

今朝は、Beatles – Let It Be でスタート。死の実相が情感に語りかけてきたときに聴く。隣人が無に帰すれば有限から無限への交替は蠱惑的なまなざしをむけてくるのだろうか。その時の自分の足は空気に喰われている。

Dr.Martensの手入れをしながらかかとを確かめる。外側へ向けてすり減っている。左右とも。ひどい蟹股で歩いているらしい。格好の悪い話。街ゆく人の歩く姿に目を奪われる。美しい立ち姿。「正しい」姿勢と「正しい」歩き方を知らない。ただ自分の感覚のスイッチが押されただけ。

手入れをしながら100年後の自動車を想像する。登録された生体認証でしかエンジンは作動しない。一定時間ごとにハンドルから生体認証の信号を受信する。あるいはハンドルはなくなっているかもしれない。もし別人が運転していたら、AIは周囲の状況を計算して安全を確保してからエンジンを停止させる。走行中の車間距離制御は当然。生命体への衝突を完璧に回避する制御システム。

もう少し先ならどうだろう。体内にインプラントしたIDは運転手の状況をワイヤレスで自動車のAIへ送信する。AIは乗車の是非を判断する。違うか。その頃になれば、もう「運転手」の定義は書き換えられている。運転しなくてよいかな。

描く映像へ到達するまでの道のりは長い。究極の個人情報の提供や走行の「自由」を奪われかねないことへの抵抗は激しいだろう。技術と制度と知性の3つが大衆を説得するまで起こりうる事象は人から奪い続ける。

少しずつ漸進していく様を静かに見守り、淡々と参加する。数年先の将来は悲観して数十年、数百年先の将来は楽観する。懐古趣味はない。昔を礼讃するほど昔を知らない。

16:00過ぎに出発。大阪駅で下車。“感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)” 高橋 昌一郎 を購入。自宅から持ってきたコーヒーを飲みながら読書。その後、移動。目的地二つ手間の駅で下車。徒歩。

歩きながら、複式簿記を考える。資産が身体、負債が心、資本は命としたら、収益と費用はなんだろう? 収益は脳への報酬として費用は何だろう。あるいは収益を脳への入力、費用は脳からの出力としたら、貸借対照表はどうしようか。いままでためてきた内部留保をこれから食いつぶしていくんだろうなぁ。

資産の身体を駆使して負債の心を返済する。心の返済とは静謐と安定を保ち続けること。さっぱりした生活の糧。今の状況をB/S・PLで算出すると、身体を使って心の返済ができず借入が増えていそう。

我ながら暇つぶしのテーマが浮かんで35分ほどの道のりもあっという間。もう汗ばむ気温でやや閉口。

19:00からF先生のミーティングに参加。イメージしていたようなファシリテーションができなかったのでご迷惑をおかけした。そろそろシステムを完成させて運用に入らなければ。議論のテーマが拡散している。僕がカテゴリーを分類して、要点を抽出して高効率の議論の枠組を提示しなければならない。

他方、議論の拡散がよいアイデアを生む。今回の一部もそれにあてはまる。だから杓子定規にファシリテーションしたら発想の萌芽を摘む。拡散が認識を更新する。個々と集合体の差異を言葉で表現できるようになる。言葉で表現できるようになれば、あとは方法を実装したら解決できる。実装は僕にまかせてもらえたらOK。

21:00すぎに終了。その後、先生とK先生、Tさんで食事へ。23:00でお開き。つくづく思うのは時間。時間の軸、というかspan, view, perspective。時間の幅と視点をどれだけ広くとれるか、そして観点の変異をいくつもてるか。長く広い空間に身を置くと茫然自失の私と出会える。先生との食事は、その私との出会いを仲介してくれる。

深謝。

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