RP

2012.04.27 雨のち曇

http://www.youtube.com/watch?v=rfUYuIVbFg0

今朝は Journey – Don’t Stop Believing でスタート。メジャな曲ですが、glee/グリーの挿入歌で再び脚光を浴びました。81年。やっぱり80年代にグッときてるなぁ。

16:00すぎに出発。大阪駅で途中下車して書店へ立ち寄る。“人類が知っていることすべての短い歴史” ビル ブライソン を購入。分厚さに躊躇したけど、どうしても読みたかった。トリビアを知ってどうなるわけでもないのに、ポピュラーサイエンスを読みたくなる。コンプレックスと自己分析。専門分野を持たない自分が科学に憧れている。「科学に憧れている」って書いている時点でバカ丸出し。

19:00からM先生のミーティングに出席。今回は診療室でRP.私が患者役。2, 3つの場面を設定してDHの方々に対応してもらった。はずかしそう。こちらもはずかしい。すでにいろんな文脈を存じ上げているし、互いの癖や立場を理解しつつあるので、いざ向き合って演じると照れくさい。

それでも、問題点が3つ浮かび上がった。RPは私よりも実行してもらうDHの方々が負担に感じないようにファシリテーションしていかなければならない。そして、観察している人に客観の視座に座ってもらう。

Mさんが、「途中で何をしゃべっているのかわけがわからなくなった」とおっしゃった。そのコメントを伺って、そうか! と感じた。RPは自己認識を刺激する。普段、とりたてて意識しないでやっていることが、「意識」に現れると、「演じている自分」を感じる。「演じている自分」を体感したら、「何をしゃべっている」かをVTRを視ている感じでトレースする。

私は「遅れて」やってくるのだ。

Sさんは、自分で考えて自分なりの基準で対応を判断していらっしゃる。すばらしい。他方、その判断が周囲と異なっている点に気づくのも肝要だ。指示を仰ぐポイントと自分で判断するポイント。一日のなかで分岐点がいくつもあって、選択が次々とやってくる。

なるべく自動的にすすめられたら楽なんだろうけど許されない。分岐点に立ったとき、どうするか?

判断の最適化と行動の精度を向上させるために積み重ねなければならない基準はまだまだあり、基準を改良したい。外部から観察している私はお伝え申し上げたいことがたくさんある。他方、残された時間を算定したら、焦燥感もある。

「すべて」を原理的に伝えるのは不可能なんだから、「すべて」のなかから選択して表現していかないとな。それもまた判断と基準だ。そしてメタ認知。