ノーパンでデニムをはいたら滴がきになるだろ?

2012.05.10 晴れ

今朝は Coldplay – Every Teardrop Is a Waterfall でスタート。テレビをご覧になっていたら、たぶん耳にしているのでは。日本ならどのバンドと座標軸が似ているかな。存外、こういうテンポのナンバにからだをのせるのって苦手。いかにも”日本人”みたいな動きになっちゃう。

iPadが医療現場で導入されるケースを目にする。事例報告が増えている。医療現場とiPadの相性がよいらしい。アバウトな表現だ。でもiPadの直感的なUIやスタイラスを使った操作の感想はたしかに記述しづらい。具体的に何がよいのかうまく説明できないけれどしっくりくる。

操作する側だけでなく来院者とも相性がよいのでは。たとえばPCに画像を表示させて説明するとき、対面式は心理的な圧力をかけている。説明する側と受ける側のデザインの変数は考慮されにくい。iPadをさわっていると、ある瞬間に気付く。キーボードの存在。文字入力には最適なデバイスは、iPadを媒介にして誰かへ表現するときに邪魔な存在へ変わる。私と端末の関係から第三者と私と端末の関係へ移行すると、キーボードは「距離」をつくる。

キーボードがない端末は、「個人間の距離」を調整しやすい。金融関係のコンサルティングシーンで利用される機会が増えているのもうなづける。

少し前に買ってきた鉢植えの調子が芳しくない。水のやりすぎか、肥料か。花が枯れてしまった。むずかしい。あれこれ調べる。うまくいくとよいが。

カナダのドラマを視ていて特定のパターンに気付いた。ドラマや映画からパターンや構造を自分なりに解釈したくなる。癖である。解釈の正誤は気にしない。今回はデニム。デニムをはくシーンがたびたび映し出される。決まってノーパン。パンツをはかずに直にデニムをはく。ためしにやってみた。なるほど気持ち悪いけれど気持ちよい。キンタマが解放されてパラダイスである反面、ある瞬間にケツが奪われそうになってひゃんな感覚が残る。

あと、”滴”が気になる。加齢とともに切れ味は悪くなるから、充分注意しないと滴はどうなるのだと思うし、直だとナニやナニの付属物がジッパーにはさまりかねない。あれははさんだモノしかわからなぬ激痛である。

自分があたりまえにやっていることが他の場所へ行けばやっていない。そういう事例は数知れず。傘もそうだろう。車の往来を確認するとき、首の左右は右から、とか。文化に関係した事例や認知能力と関連する事例があり、そして環境が影響する。それらを自分で調べて学習するのがとても楽しい。

20代の中頃、裸で寝ていた。あの感覚を一度味わうとなかなかやめられない。デニムを直にはくのも似ているのだろうか?