資料はabilityとpresentation

2012.05.24 晴れ

今朝は フラワーカンパニーズ – 深夜高速 でスタート。これはヘビーローテーション中のヘビーローテーション。頭がおかしくなってきたら何度も何度も聴く。精神が腐敗してきたときに聴く。ひとりで爆発する。歌詞にある「よかった」と思えるような生活ではないけれど、いつかよかったと思えることが終着駅。ちなみにこれ、Vo.鈴木圭介の顔面から血が流れています(たぶん)。

院内の資料作成は、単純な入力作業と受けとめられがちだ。スタッフは指示されたとおりに入力する。あるいは決まった事柄を入力する。完成させた資料を出力する。資料を整理整頓する。はじめは業務に使っている。使いながら違和感が生じる。しかし、違和感を吟味して資料を修正しない。時間と機会がない。やがてほんのわずかな違和感が現場に蓄積されていく。飽和状態の違和感はやがて資料を死蔵する。

なぜだろう? 習慣になっていないからか? 資料を業務に役立てるシステムが構築されていないから? 習慣は必須としても、システムと習慣が解決できない要素を含んでいるのでは、と以前から疑っていた。

そう疑っている自分の認知を検証する。眺望点が変わったからだろう。デザインを少しでも学んだからだ。会計事務所にお世話になっていたとき、「資料作成の能力と発表」を思いつかなかった。考えなかった。

昔、“A4・1枚究極の企画書―伝わる!通る!夢が叶う!” 富田 眞司 のような、要は「A41枚にまとめなさい」系が流行した。いまも使われているかもしれない。現状を知らない。その系の本を数冊読んだ。それから自分の提案書で実践してみたら成功率はわずかに上昇した。成功率の上昇よりある傾向に驚いた。目を通してくれるようになった。

資料を作成するとき、レイアウトやフォントの設定、図形、UIやUX、表現方法など「見た目と内容」を設計しなければならない。設計に必要な要素を考慮する。要素を抽出してアイデアを練り上げる。資料作成のアイデアからアイデアを実現する設計へ。

そしてもっとも難しいのは削ること。

たとえばスタッフは指示されたとおりに入力する。ソフトはMicrosoft Wordとしたら、まずソフトの使用方法を知らない。知っていても必要最小限の機能で入力する。設計がおぼつかない。さらに削ることを意識してい入力しない。しない、のではなく、できない。そんな手間暇かけることは本業ではない、という実情もある。

資料作成のマネジメントは、基準・分析・判断・決断から構成される。使いやすい道具を使ってこの4つの工程を手際よくすすめる。入力ソフトを習熟しなければならない理由はここにある。

全員が視認できる明確な変化よりも取るに足りない要素を改善する行為がabilityとpresentationを求める。小さな要素を積み重ねと、積み重ねられた要素が更新する環境。トイレを自主的に毎日掃除していた人がある日いなくなったとき、その人が現場に与えていた影響を認識する。

トレイは掃除のアイコンだからわざと事例にしただけで、どんな事象でもあてはまると思う。同時に自主的を逆手にとって自己評価を高めようとする行為は一定の割合で発生する。集団の規模を問わず発生する事象だ。成員は事象の影響を最小におさえる。方策を実行して制御する。