diary

理由より原点

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2012.06.06 晴れ

今朝は Fishmans – あの娘がねむってる でスタート。365日のうち300日ぐらい聴いてるはず。ニューエスト・モデルと対バンしてたなんて、B’zとGLAYが対バンしてるような感覚です、私的には。

M先生のWordPress制作を淡々と続ける。写真だなぁ。トレンドとユーザビリティはたくさんの写真より一枚の衝撃をもとめる。手元にあるナショナルジオグラフィック傑作写真ベスト100を折に触れめくる。プロが撮影している点を差し引いても表現を学べる。撮影者の主観が連続した出来事を切り取る。切り取られた事実は止まったままなのに迫ってくる。二次元への変換は躍動感と臨場感を弱める。切り取られた事実は、はめ込まなければならなかった「そこ」を想像させてくれる。

“急に売れ始めるにはワケがあるし、原点がある。夜のTwitterのトレンドが特異点だったので番組表を調べたらLIVE中継らしい。グループと順位に関心はないので本を読んでいた。ただ売れる理由よりも活動の原点が気になった。「最初」はたいへんだったんのではないかしら。うろ覚えでGALYか否か定かでない逸話の「内容」だけ思い出した。固有名詞を思い出せない。初期のライブの観客は数人だったというお話。似たようなストーリーは至るところにあるだろうし、有名・無名問わず各自が原点を持っている。

お世話になっている歯科医院の先生が、チェアサイドで経営のお話しを始められたので伺っていた。めずらしい現象だ。開業して10年経ち、右肩で順調である。開業当初の苦労と苦悩を存じ上げている。ほんとうによかったといつも感じていた。ところが、ここへきて鈍化しているらしい。いくぶん苦戦気味とのこと。

僕はお話しをずっと聴いていた。経営へのコメントは差し出がましい。遠慮していた。チェアサイドでのひさかたぶりの長話。お気持ちを推し量る。お話しから先生は何をすべきかご承知のようだ。それをなさればよいと思った。ただ、たぶん僕からも言葉にしたほうがよい空間がつくられているのも自覚した。一言だけと判断した。「原点ですね」と申し上げた。先生のお顔が晴れやかになった。よかった。

多用になれば原点から離れていく。あるいは時が経てば原点の輪郭がぼけてしまう。原点に拘泥してもいけない。変わらないために変わり続けなければならない、は名言だ。でも「変わらない」ことが「変わりたくない」にいつしか変わっているかもしれない。変わるために耳を傾け、助言を受け入れる姿勢を示す。示すだけではないだろうか? 助言や至言がやってきても、うまく返してしまっていないだろうか?

結局、先生は原点を想起して、原点を現在の様態と融合させた。融合に試行錯誤しつつも事態は改善されつつあるみたい。次に拝顔したとき、経営のお話しを伺わなくなった。違うルートから現状と情況を伝聞して安堵した。そして先生の経営手腕に敬意を表した。

身も蓋もないと承知すれば、原点はいらない。原点を持てば居着いてしまう。原点は心地よい場所である。現在の己を検証するために便宜上原点が必要なだけだ。原点より出発点。出発点を常に書き換え続ける。出発点を常に更新する。到達点はない。もう身も蓋もない。僕が立っているのはいまここの出発点だけである。出発したつもりで歩き始めたら実はまた出発点にすぎなかった。それの繰り返しだと認識している。なにより出発点に立てたら幸運なこと。

成長と衰退は退場してもらう。破壊と創造に入場してもらう。

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