diary

比喩

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2012.07.12 雨のち曇

今朝は Chicago – Hard To Say I’m Sorry でスタート。これを聴いてなにかの記憶とリンク人は「80年代でOKですよね?」ってニッコリしてしまいそうです。ちなみに私はこの曲と中学時代の一世一代片思いがリンクします。

九州の被害を伝える報道を読む。痛ましい。そのなかで「これまでに経験したことのないような大雨になっている」という予報の表現を目にした。わかるようなわからないような感覚。「東京ドーム○個分」を思い出した。あのたとえが苦手だ。

東京ドームの面積を知らないから何個分と伝達してもらっても対象の面積を脳裏に描けない。いったん東京ドームの面積を調べる。それから倍数を計算して面積を算出する。で、自分の近所だと「どこからどこまで」かとイメージ。一手間かかる。はじめから単位の面積を教えてくれたらよいのに。そちらのほうが一手間かけずに計算できる。近所の面積と比較しやすい。

「これまでに経験したことのないような大雨」も誰が経験したことないのか気になる。対象地域なのか日本全体なのか。一度その雨量を経験したら次はどうするんだろう。

わかりやすく伝える意志を受信できる。ただその意志がかえって関心を削いでしまっている、と感じる。列車のアナウンスもそう。外国人がアナウンスを聞いたら「これだけ何度もアナウンスがあるのは重要な情報を伝達している」と思ってしまわないか。気になってしょうがないのじゃないかしら。

表現が言葉に依存しすぎてやしないか。もう少し言葉の比率を下げてみたらどうかな。あるいは長文のテキストを読み上げないで短い単語で伝達してみては、と。

JR大阪駅通路の広告

JR大阪駅通路の広告。多くの人の目に触れて目に止まったはず。そのなかで知覚を刺激された人はどれぐらいいらっしゃったのか想像しながらパシャリ。「西日本最大級」って単語が削られていたら僕の好みにさらに近くなる。

15:00から打ち合わせ。前回Kさんに同行していただいた先生と奥様と私。写真を拝見する。息をのむ写真。診療所の躍動感と立体感が表現されている。透明感。ひとりひとりの構図の物語。写真の力を再認識できた。これらの写真を最適な位置に配置して、ほんのわずかな言葉をそえてあげたらす素敵なウェブサイトになるだろう。

ほんのわずかな言葉を練り上げる。診療所で通信する文脈からキーワードを抽出してつなぎあわせる。言葉だけでは不充分。写真だけではやや薄味。ちょっぴりの味付けがほしい。ユニークな言葉の味付け。

写真をこよなく愛する方々は「味付け」と聞いてご立腹されるかもしれない。失礼かも。写真が語っている、と。それにあえて味付けするんだから緊張する。

ぶっとおしの3時間。濃密。診療所を失礼した後、頭が養分を強く欲求していると自覚。強烈な欲求。

移動して19:00からF先生と打ち合わせ。ファシリテーションがわからない。どんなふうにすすめていこうか、輪郭を描けない。少し困った。こういうときは手を動かした方がよいかな。とにかく出力してみよう。20:45に終了。

帰りの車中、昼間の打ち合わせをふりかえる。いくつか失礼な物言いを頭のなかで書きだした。所作を思い出す。どうしてあんな言い方してしまったのか。記憶を頼りにトレース。あの時の心情をふりかえる。あのときの所作を再現する。どんな顔していたか。自分には見えない。見えないからこわい。油断した単語の選択が重大な失敗の結果を招く。なにげない単語が相手の心身に強い痛みを与える。深く傷つける。傷つけることを恐れたらだめだけど、単語の選択にもっと注意を払わなければいけないな。あと自分の無意識の動作に驚いた。先入観を持たずに聞いているつもりでもやっぱり持っている。ほんと難しい。

キース・リチャーズがインタビューで「俺たちは上品に衰え、優雅に死ぬんだよ」と語った。上品に衰えたい。

もっとおだやかに。もっとすなおに。もっと冷静に。もっと冷たく。

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