diary

自分のことなのにどうしてそんなこと聞くの?

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2012.07.17 晴れ

今朝は やしきたかじん – 東京 でスタート。いや、朝からこれはないやろ、と思いつつ、一昨日、突然、この曲が頭のなかでくり返しくり返し再生されてしまい、脳内ループ状態で気がふれそうになったので聴きました。やっぱ、ええわ。年間、何人がボックスのなかで自己陶酔していらっしゃって、歌い手の最年少は何歳でしょうか?

C社の資料をまとめる。気分は複雑。次にいま営業中の歯科医院の資料をまとめ。脳内のカオスが画面に出力されるてコスモスへ。そのプロセスが楽しい。言葉をそぎ落とす。記憶をたぐりよせて資料を目にした相手の反応を想像しつつ、自分のお気に入りの言葉と相手が選びそうな言葉の中間地点はどこ? input と undo のかけあい。

ランチは鶏もも肉の塩胡椒炒め。残り物のズッキーニと赤・黄ピーマンをいっしょにいためたらあざやかな色合いになって食欲の目盛りが5cmぐらい上昇した。鳥のもも肉をながめながら “世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR (角川文庫)” 内澤 旬子 のシーンを脳内でちょっぴり流す。

食と性。ヒトにとっての生存と種の保存。豊かさが生存と種の保存をぼかしてしまっても、食と性はヒトの基本行動。ヒト以外の動物とかわらない営みが続く。ヒトの情動をのぞけば、とことわって。ヒトはその「かわらない」行為に何かを見たのか、感じたか。タブーは食と性に付着しやすい。禁忌が文化をつくったか、文化が禁忌を強く願い求めたか、どっちか、はたまた異なる位相から禁忌と文化が連関したか、いずれも知らない。知らないこと幸い、食と性のなかに隠れているヒトの根源的な欲動を透かしてみる。

午後から資料作成の続き。苦境の最中、増収増益は望めない。組織はゆらぎつつ。ゆらぎつつ良好な結果を出しているそこかしこの組織。組織を観察してパターンを抽出する。主観的な抽出。

「批判しない、評論しない、自分がやらない理由を他責的に論じない」が、特長だ。きわだって目立っている。組織の自己を語る話法は違っていても、話法の構造はこれらの特長に収斂される。

自分がやっていること以外の現象に言及しない。報道がどうであれ、誰かが風評を持ち込んでも関心を示さない。全体の「精度」をひたすら高める。一見、意固地で頑固にみえる。実際、そんなふうに観察していた時期もあった。いまは違う。意固地で頑固になりそうなとき、個がゆりもどそうとする。個のゆらぎと全体のゆらぎが共鳴している。

米国の干魃が深刻そうだ。トウモロコシや大豆の生産に影響ありそう。となると日本もきびしくなるかも。バニラもそろそろ値上げかなぁ。鰻はほとんど食べないからぼくの食卓に影響ないとはいえ、ワシントン条約の規制対象になったらお店はもうだめかもなぁ、と、思いと心配のはざまにあるよそ事感情がゆらゆら。

食品売場を歩く。何を買おうか迷う。暑いからフライパンの前は億劫だ。ついつい手軽なものですませる。したら翌日の昼にうろたえるはめに。

もう少し食を楽しめる自分へアップデートしたいなぁ。食を楽しむって情報の量や美味の探索じゃないよね。そう思う。楽しむって自分と非自分の交わったアジールのなかで自ら発生する行いかな。

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