diary

脳みそをとりかえたい

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2012.07.25 晴れ

今朝は Carlos Jean – Mr Dabada でスタート。こういうテンポの曲が好き。Sérgio Santos Mende も好き。なんでしょう、ラテン系? をアレンジしたラップ調? HIP HOP? みたいな、なんだかよぉーわからん系が好き。

M先生のサイトを制作。かかりきり。なんとか先生に報告できる目処をつけたい。サイトってつくればつくるほどナビゲーションの奥深さに魅せられる。ナビゲーションを「わかりやすく」「リッチにデザイン」できる人はどこでも通用するよな。僕はまったくダメなんで、凹みっぱなし。

体調の下降線の一途。食べた直後から胃が収縮して気持ち悪い。食べない方が調子よい。こういうとき、「三食きちんと食べなさい」は神話じゃないかと疑ってしまう。お腹が充分すいたときに摂取すればよいのではと。

“イデオロギーとしての技術と科学 (平凡社ライブラリー)” ユルゲン ハーバーマス, J¨urgen Habermas, 長谷川 宏 を注文。発刊された当初、欲しかったけど見送ったらいつのまにか入手できなくなっていた。復刊?! したらしい。出版社のキャンペーンかな。カントとヘーゲルとハーバーマスはリンクしていそう。単語を拾い集めた印象。

内容を理解したいのに知能がない。理解できない。僕が先人の文章を読むのって、コンプレックスなんだなぁってわかってきた。理解したいのに自分の知能が追いつけずさっぱりわからない。僕には難しすぎる。

なのにネットと出会って検索してみたら膨大な論文がヒットする。ブログや書評、独学していらっしゃる方々の文章がヒット。文章を追っていくと濃密な思考の痕跡をたどれる。痕跡が羨ましい。コンプレックス。頭が悪い欠点を克服したいからチャレンジしてダメ、打ちのめされる。

挑戦して叩きのめされて凹。続けてきてひとつわかった。何が書いてあるのかさっぱりわからない文章をガマンして読めば、ほんのわずかな手応えがある。きわめて小さい動き。感触。思考や論理の「道筋」のようなラインを把持できる。何を書いてあるかさっぱりわからないけれど、自分がそのラインの上をあやふやながらも歩けている実感。ラインをずっと把持できない。とぎれとぎれなんだけど、物事や事象に対して向き合っていく「仕方」の断片を拾い集める。

断片を発見できたらラッキーだ。断片を拾い集めて自分なりのパズルを完成させられるかもしれないから。その可能性があるとわかったときの昂揚。

またCDを処分した。いつかすべてのCDを処分したいと思いつつ手元に残してしまう。放棄と所有。両者の差異と境界線を誰かに観察してほしい。所有しているCDのなかには聴かないのもある。iTunesに取り込んだら聴くかもって期待した。自分の習慣は期待を裏切ってくれた。もし、AppleがなくなってiTunesのサービスが終了する、あるいはiTunesのデータがバックアップもろとも破壊される、といった事態に遭遇したとき、僕は電子化した自分を後悔するかな?

たとえば定額の音楽サービス。月額いくらか払えば好きな時に好きな場所で好みのリストを作成して端末で聴けるサービス。データはすべてサーバーに置く。手元にまったくない。聴きたくなったら検索する。あるかな? 調べてみないので知らない。

そうなったとき、「あの人といっしょにすごしていたときに買ったCD」の記憶はない。記憶と音楽はリンクしたとしても、「あの人」と「物質」がリンクしない。記憶を持たない人と僕のような所有の記憶と音楽がリンクする人が会話したら、どんな「ズレ」を発見できるかな。思い巡らせたらワクワクする。

運よく長生きできたら60歳ぐらいで10代の人々とお話しできる機会があればよいと思う。いま境目からもしれないが、10代・20代の方々から学べることがたくさんある。いまもあるし、これからも変わらない。

ストックの知識量と経験値と「常識」で判断する人の知性は猛烈なスピードで劣化していく。

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