diary

自分を棚上げしたいんだけど誰が棚にあげてくれるだろう?

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2012.08.03

今朝は USA for Africa – We Are The World でスタート。このプロジェクトのパフォーマンスほど理想と現実を直視させる歌ってないんじゃない? って思わせる、ような信仰と偽善の力をあわせもつ。

午前中、M先生のサイト制作。あとトップページをデザインすれば、先生にご覧いただけるかな。イメージをつかんでいただくためのモックアップだけど、本番使用とかわりないつくり。まぁ、それにしてもPCとモバイルのどちらをウェブサイトの起点にするかの判断は悩ましい。

運営者はPCを起点にしたくても、アクセスするユーザの半数以上がモバイルであれば、対応を迫られるし、コンテンツを見直さなくちゃいけない。モバイルの回線はまだまだ細い。LTEが普及するまでもう少しかかるから、LTEより3Gで閲覧できるコンテンツを優先配置しないとね。

13:00前に出発。15:00からF先生と打ち合わせ。18:00まで。終盤、やや取り乱してしまった。自分の感情を押し出した感想を述べてしまった。客観的に観測した結果ではない。事実と推測をごちゃまぜにした感想にすぎない。そういった感想は議論を妨げるし、見苦しい。下品だ。沈黙のタイミングを身につけるようにもっと鍛錬しないと。

移動して19:00からM先生のミーティングに参加。ミーティングの内容は口腔内写真の研修。診療が長引いたので遅めのスタート。20:10ごろに終了。

「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」という。文字どおり言ったか知らないが、時代の濾過器をすり抜けていまも確かに残っている。それだけ多くの人がこの言葉を実践できないからフィルタリングを通過してきたんだろう。できない状況を目の当たりにしてこの金言を持ち出し納得する。この金言にふれた人のうち、2割の人が「できる」ようになったとしたら、それは修練の結果であり、金言ができるようにしたわけではない。残りの8割の人はできるようになりたいよりも言葉にふれて納得したいほうが強かったのだろう。

空は変化しているけれど気づかない。ある日、空を見上げて、空の変化に気づく。自分の周りの環境は変わっているし、変えようとしても、自分は変わらない。見上げたから変わっていると認識できた。

リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)WWFの警告は、自分の身を削られないディレンマを教えてくれる。卑近な例だと国会議員や地方議会の議員定数を減らす法案に賛同が集まらないし、自らの報酬を減らすことに賛成しづらい構図がそこかしこにある。

自分をいったん棚上げして、物事の道理を吟味して適切な方法を導出するのはできるようでできない。できないから言葉だけが飛び交うのだろう。できないからこそ、「できた」または「できそうな」言葉がクローズアップされるのだろう。

いまの生活水準を維持しようとすれば地球があと2,3個必要と警告する。人間の生活が視点の中心。でも、地球って制御可能だろうか、と専門家に質問してみたいし、もう少し踏み込めば、人口が減ればと思う。仮に100年後の日本の人口が現在の1/2以下になれば、エネルギー問題や食糧問題を解決する糸口は見つかると思う。そのまえにそんな人口だったら侵略される、属国になっている、とおっしゃる方々もいらっしゃるだろうけど。

他人に自分を投影している間はできそうな感覚に包まれるが、それは幻想だ。その幻想を現実に交換できるのは自分の身体なんだなぁって近ごろ鳥を見ながら思う。

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