個は無限を内包しているから他と差異される

2012.08.07 晴れ

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今朝は Uncle Kracker – Follow Me でスタート。ラジオで知った曲。lyricを検索して読みながら聴く。自分以外のコトがよくわからないとばかりつきつめて、実は自分を精確に素直に表現できないと理解して茫然自失の日々にちょっとほっこりしてみる。

二十四節気、立秋。これ以後は残暑。暦の上では秋の始まりといわれてもそんなふうに思えるわけがなく、暦に限らず、「そんなふうに」思えない事柄はある。酷暑に皮膚と視線が奪われてしまうなかで、ふと上を見上げたら雲は少しずつ秋の装いの準備にさしかかっていそう。

第三十七候、涼風至。熱風の中の秋。気配を感じたいから皮膚の感覚と嗅覚を研ぎ澄ましたい。日は短くなっているが、いつごろ、短くなったと体感するだろうか。夕方、歩いているときか、部屋の中か。あの、「あっ!」と感じる瞬間を毎年保存できたら、日時のデータを比較してみたい。

和名はアメリカネリ、陸蓮根とも。原産地はアフリカである。英語の名前はオクラ。アフリカの野菜の名前がなぜ英語か?

周りは夏季休暇に突入していくなかで平常運転。そろそろ資料が届いてほしいなぁと思いつつ、あれもこれもやらなきゃってリストがストックされていき、リストをデリートできない焦りが下半身の筋力を失わせていまいかとさらに焦りが焦りをよび、一周する。

M先生のトップページを作成。シンプルに設計した。適当な写真がほしいかな。あとは些細な表示を修正したら先生にご覧いただけそう。とはいえ、その些細な修正はプログラムへタッチするから僕にはタイヘン。

F先生の資料作成の準備。矯正の内容について保存したファイルを読み返す。現場のながれを想像しながら作成したほうがよいが、まずはいままで入力した断片情報を整理してまとめて清書かな。デザインというより入力への比率をあげよう。先生の意想を把持できない自覚があるので、僕の思惑で設計したら危なっかしい。

僕はズレを認識していて、そのズレが僕の側だけに生じていると仮定したら、修正しなければならない。自己評価を修正する作業。ズレと認識している自己認識を更新する。更新作業の過程で判別できない要素があるなら伺わなければならない。正念場はもっと前にあったはずだが、僕の修正が遅れている。座標軸は、「問題の設定に苦慮している」点。

わたしの第二のテーゼはこうである。認識は自己保存の道具であるとともに、たんなる自己保存を超えでている。(中略) 第三のテーゼはこうである。認識を指導する関心は労働、言語、支配という媒体のうちで形成される。(中略) 第四のテーゼはこうである。自己反省の力によって認識と利害関心は一体となる。“イデオロギーとしての技術と科学 (平凡社ライブラリー)” ユルゲン ハーバーマス, J¨urgen Habermas, 長谷川 宏 P.186-188

二つの個と個があって、両者の差異は何か? 片方の個のなかには、もう片方の個が持つ要素以外の”すべて”の要素を含んでいる。個は無限を内包しているから他と差異される。両者の差異を識別できる。だとしたら、”すべて”は無限と置き換えられるか? あるいは個が全体を内包すると表現できるか? 科学の眺望点から眺めたら、このフレーズはナンセンスだなぁって自問自答中。

卵2個を使って、ズッキーニとチーズでスパニッシュオムレツをつくる。ニンジンとタマネギとブロッコリーの茎をくわえる。ジャガイモとウィンナがなかったので淡泊な味を予想していたらはずれた。野菜だけでとても美味しい。ワンプレートが好きで、とりわけ複数の具材をひとつの材料でパッケージするフードを好む。合理的って感じるから。

料理と調理は違うな。台所に立って理解できた。どちらかといえば、食材に興味を持ちつつ、調理のほうに関心が高い。同じレシピに対して分量を変化させて数回つくったら味はいかように変わるかか、って点を知りたいし、それらの数値を知りたい。

「さしすせそ」の理由をウェブサイトで検索して説明を読んで、理科? 化学? だと思った。明快な説明に原理を理解できた。自分の考えを他人に理解してもらいたいとき、情理を尽くした明快な説明を意識しているかが重要なんだ。明快はわかりやすいと同義ではない。感情や抑揚をこらして相手を説いても承認は得られない。