身体が届かなくても頭は届くから憤慨が充満する

2012.08.08 晴れ

[youtube=http://www.youtube.com/watch?v=Vro-q83poJI]

今朝は BARBEE BOYS – なんだったんだ?7DAYS でスタート。はじめて聴いたのは中学? 高校? とにかくたまたま深夜のテレビで流れていたPVを視て、ソッコーでレコードからテープにダビングして聴きまくりました。男性ボーカルの声がとにかくビンビンきてね。

涼しい朝。立秋だからってきっちりあわせなくても。早朝の涼しさは幻、昼間はうだるような暑さが続くが、湿度は低いかも。湿気が皮膚にまとわりつくような感覚はない。

TwitterのトレンドやRSSから流れる情報へアクセスしたとき、身の回りで起きた小さな出来事に全力で向かっていく人がいる。全力で向かっていく原動力は怒り? 苛立ち? 僕には小さな出来事だけど、そうでない人はいる。加えて身の回りの「範囲」が変わってきた。数百キロ離れて起きたコトが「身の回り」であり憤怒を露わにして対象へ向かっていく。

これはネットのなかだけの現象か、そこかしこで起きているか、わからない。ネットのおかげでニュースを見聞するタイムラグは短くなったし、ニュースを伝える距離は伸びた。範囲が広がった。外国語を読めれば海外の事情を察知できる。身体が届かない場所でも頭は届いているから、起きたコトを頭のなかで身体運動に変換して言葉で処理できる。入出力が言葉だから、起きたコトの「よくわからない」を捨象して、「スッキリしている」部分を取り出して処理して呪詛にのせて出力する。

適度な距離感は難しい。二人の間ですら試行錯誤の暗中模索で疑心暗鬼の以心伝心なのに、複数なおいわんや、社会に拡張すればカーネルパニックである。“かくれた次元” エドワード・ホール に掲載された人間同士の距離感を表現した写真は興味深いし、言説は建物と人との距離感、文化に及ぶ。

スポーツの報道は湿度の高い日を思い出させる。いっそのことなら服のままでも水をかぶったほうが気持ちよいと思えるほど、水分をたっぷり含んだ空気が皮膚にまとわりつく、あの感覚をスポーツの報道から感じ取ってしまう。質問はスポーツそのもののではなく、テクニックでもなく、対戦相手でもなく、人や集団への「思い」へ誘導する。その様が少しだけこわい。

顔を合わせないけどSNSやチャット、メールがレギュラーな関係は物理的に離れているのに別の距離感が関係の中で営まれている。これを距離感と定めてよいかといわれたら、うーんと返答に困る。相手の「顔」を視認しないし、「身体」の手ざわりはない。かりにチャットで表情を伺えても香りは漂ってこない。こういう関係が維持できるコンテンツはなんだろうか?