明日になれば昨日何を決めたか忘却の箱

2012.08.16 曇

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今朝は Bill Withers – Lean On Me でスタート。iPod TouchにはClub Nouveau版をほりこんである。電車の中でよく聴いている。特に帰りの車中、暗い車窓を眺めて聴くと落ち着く。

蒸し暑い。空は水をたっぷりふくんだ雑巾でしきつめられたみたいで、神様がぎゅぅっと絞ったらたくさんの雨が降ってきそうなべったりした粒子がまとわりつく。

会合で議事録を作成する役割を引き受けている。声だけに耳を傾けていると集中する。反面、顔を見ながら話を聴くと、うっかりすれば話の筋を見失う。表情を伺ってしまうからだ。意識が視覚情報に奪われる。

議事録の作成は「定型」を学習できる。決められたフォーマットはないので、自由に記述していたが、数ヶ月前から自分なりの書式が定着した。反面、「定型」の入力に慣れたら、定型から外れる意見を記録しなくなる可能性がある。定型への馴化がもたらすデメリットだ。

議事録のデザインは、「あとから読み返したくなるか」と「あとから読み返したときに理解できるか」の2点に絞られる。この2点を議事録の中心概念に置いて入力しているが、なかなか難しい。あとから読み返そうと思えず、また記録を読み返して思い出せないコトを記録している。

議事録を入力していると、「決める」について考察を迫られる。最大の発見だ。自分の入力がへたである点を差し引かせてもらっても、「何を決めたか」がはっきりしない。「決める」という事象に対して5W1Hを適用させてみると、まったく決められていないこともしばしば起きる。

「何を決めたか」(=未来)がはっきりしないから、未来が現在に変わったとき、検証できない。現在を検証しないまま過去になったとき、過去のデータをひもとけないのでデータは蓄積されない。データ(数字だけではない)が蓄積されないと、データをノウハウへ転化できず、ある出来事に対してひとつひとつ手探りで向き合わなければならない。

過去にやっているはずの事柄をもういちどはじめから打ち合わせやったり、過去と別のやり方で実行して失敗してしまうケースがある。

ある出来事が過去の出来事と類似構造を持っているとき、過去のデータを参照して使えそうな知識と技術は流用して、足りない知識や技術を調達する方法を吟味する、という技術(知識)情報を選別できる。効率化とはこの選別の精度と速度を向上させることだと思う。

そんなことを考えていると、「決める」の概念と中身は何か? が気になってくる。とても気になる。

皇子山球場

100のタスクがあるとき、ひとりの人間が管理するか、5人で20個ずつに分担するか、こんな愚問から出発したら意外な眺望点を獲得できるかもしれない、って議事録を作成しながら感じる。