人と技術と空間が複雑に関係しあったとき環境が進化する

2012.08.22 晴れ(合間の天気を知らない)

[youtube=http://www.youtube.com/watch?v=eS_Va5M2XOc]

今朝は 笹川美和 / 愚かな願い Recording Making VTR を視聴してスタート。うれしいニュースだな。いろんなオトナたちの事情があってメジャな舞台から離れていらっしゃった(離されていた?)ところの復帰。メジャだけが音楽ではないないけど、場が広がることが僕のように無精なやつには耳に入ってきやすくなって嬉しい。

08:30すぎに出発。大阪へ。朝から歯科医院の現場を観察。診療後までびっちり現場を観察させてもらった。新しいノートを持って行った。20ページ、見たままの風景や気づいたこと、感じた点を書き殴った。ウェブサイトを制作するにあたってぼやけていた輪郭のピントがあってきた。1日拝見しただけでピントが完璧にあうわけなんてなく、小さな小さな断片をひろっただけなんだけど、「ああ、あのページにはこの言葉をいれよう」や「このアングルの写真がほしいな」なんてサイトの映像とキーワードがどんどん思い浮かんだ。

観察すれば、インプットの情報量が増える。比例して疑問が次から次に浮かび上がる。何をしているのか? あの動きは? 目的は? 効果は? どうしてそんな配置にしているのか? 診療室内の設計の意図…..。まだまだたくさん。

はじめて入室したときの違和感。他の医院とは異なる風景に映り、なんだか違和感を抱いた。ヘン、ってニュアンスの違和感じゃなく、アレ、なにか足りないなぁ、なにか違うな、ってライト感覚。で、午前中の診療を見終えたとき、理解できた。なるほどなって。先生にそれを伝え、話を伺い、ちょっとしたインタビューみたいになったり。

昼休み、スタッフの方がプレゼンなさるにあたってパートナーに指名された。状況設定を伺う。来院者の役を演じた。プレゼンが終わってアドバイスを求められる。いまでもウェブサイト以外のこと、特に対人スキルやプレゼンについてアドバイスを求められる。他人から見える私。不思議だ。アドバイスする機会は減った。なにより僕自身の対人スキルが急速に劣化しているので、そんな人のアドバイスは失礼にあたるし、僕も恥ずかしい。それを承知でおつきあいいただき、気になった3点を回りくどく説明した。

19:00すぎに診療所を出発してご自宅へお招きくださった。3人で会食。いっぱいお話しを伺い、ちょっと高いテンションで自分の話を吐露して、自分の地点だけ時空が歪んだかと錯覚する時のスピード。気づいたら先生が列車の時刻を調べてくださりあわてて終電に飛び乗れた。とてもとても楽しく、ほっこり気分で各駅停車でゆらゆら。茂木健一郎先生が出演したラジオ版 学問ノススメ Special Edition(“挑戦する脳 (集英社新書)” 茂木 健一郎のお話)のポッドキャストを聴きながらゆったり暗い車窓をぼぉっと眺める。

日本人は細やかで行き届いた気づかいができるという。他者はそう見る。慣れてしまった僕には感じられない要素でも他者は察知する。でも、そのために空間にプラスαを置かなければならず、限られた空間になくてもよいものが増えていく。人の動きが遮られる。人の動きが遮られた空間は滑らかで伸びやかさを失い、なかにいる人の動きから躍動感が奪われる。凛とした静寂と気味の悪い沈黙は違う。

人と技術と空間が複雑に関係しあったとき、環境は進化する。環境そのものが自律的に運動する、みたいなオカルトみたいでまずいんだけど、オカルトとはギリギリのラインで棲み分けている環境そのものがもつ有機的機能。

「関係」を設計しなくちゃいけないんだな。