diary

完成品には何も装着しない

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2012.10.11-14

今朝は KT Tunstall – Suddenly I See でスタート。一定の間隔で聴きたくなる。軽やかな感じが日の出前の沈黙とアンバランスでおもしろい。

週末、大津ジャズフェスティバルへ。今年はホールでじっとしていた。初日の Lew Tabackin Trio がクールだった。72歳。舞台の上でsaxophoneとfluteをswingするおじいさんはとってもcoolだった。

ただ、観客のなかには幼稚な人がいた。撮影を明確に禁止していないためか、フラッシュをたいて撮影していた。フラッシュの仕組み(光が届く距離etc)を知らなくても、撮影が礼儀に反する行為と大人は理解できるはず。あちこちからフラッシュが焚かれるたび情けなかった。スマートフォンで動画を撮影する人もちらほら。

大人とは年齢に関係ない。老人たちが「最近の若者は….」と口にする若者のなかに成熟した大人はいる。そう口にする老人や中年のなかに恥知らず、礼儀知らず、愚かな者はいる。会社の関係を世間に持ち込んでいるかのようにふるまう人もいる。組織のなかで地位についているから、関係の属性が世間でも通用すると思っているらしい。グロテスクな思考である。

OTSU JAZZ FESTIVAL

アマゾンから届いた “死を見つめる心 (講談社文庫 き 6-1)” 岸本 英夫, 稲垣 行一郎, 亀倉 雄策 を貪り読む。もっと前に読みたかった、と、いまがその時機だ、って思いが交錯した。「観念的な生死観」でしか死を整理していなかったことを恥じる。かといって、いまのところ生命飢餓状態に身をおいているわけではない(と思っている)から、いまだ自分にとって死は「観念的な生死観」の只中だ。どうすればそこから脱却できるか、と思う前に、そもそもそこから脱却しなければならないのか、ともよぎるし、いずれ必ず自分にも生命飢餓状態がやってくる。その時でもよいか、やら思いがちらばっていく。

瞑想、と書けば大層になってしまうが、なんとなく目が覚めてすぐに半跏趺坐のようなポーズで目をつぶり数分を過ごすようになった。何か思い立ったわけでもなく、日を追うごとに日の出が遅くなり、薄暗いなかで目が覚めたときにできることがないかと思っていたら、目が覚めたら目をつぶるなんて皮肉な話にいきついた。

26,7歳の頃にも一時期やっていた。今度はいつまで続くか、毎日続けられるかわからないけれど、淡々とできたらよいな。

何も考えず、目をつぶるでも開けるでもなく、うっすらと暗い部屋のどこにも焦点を定めず「空」の状態でいるなんて無理だなって実感する。空に近づけるとは努々思わない。呼吸に意識を集中している点は20代のころと違う。自分がどんな呼吸をしているか知りたいのでなるべく意識している。となると、呼吸か身体のどこかの部分について思考してしまう。

週末、iPod touch 5th が到着した。第一印象は薄い、軽い。そして噂どおり初期状態でほんのわずかな傷が二カ所あった。気になる人は即アップルストアに行って交換してもらうだろうけど、僕はこのまま何も装着せずに持つのですぐにアルミの塗装がはげるはずで、気にせずそのまま設定した。

Steve Jobs がiPhone 4(S)のサイズに執着した(らしい)という話を知っていたが、iPhone 5とほぼ同じサイズになったiPod Touch 5thを持ってみて納得した。僕の手にはほんのわずかに大きい。この「ほんのわずか」がとても大切なんだ。慣れると思う。でも、手にしっくりくるサイズとは異なる。

フリック入力もほんの少しだけつっかえる。薄くなってわずかに大きくなった分、片手で持ったときの安定感が失われた。まるで「裸」で持つことを前提にしていないような設計である。

iPod Touch 5th with free engraving

オンラインストアから注文したのでいつもどおり刻印してもらった。Today is a very good day to Die. (From Many Winters by Nancy Wood) 邦訳 『今日は死ぬのにもってこいの日』。大好きな言葉。そういまこの日記を入力している部屋に入ってくる柔らかい陽射しと空を眺めていると、今日もそんな日であってもよいな。

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