毎日、鏡で顔を眺めてください

2012.10.30 晴れ時々小雨

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今朝は 福原美穂 – 絶え間なく でスタート。「何度となく繰り返す人と人の言葉をあなたはどう思って見ているでしょう?」ってフレーズはステキだな。聴いている瞬間の情感があたまの感じ方を己に与えてくれる。いまの邦楽の歌詞は具体的な出来事、具体的な内容を歌詞にまとめている印象で、もう少しぼやかしてもよいのでは?って感じるときも。

平日の昼間、近所を歩くとき意識する。こざっぱりした服装を着ているつもりで歩いても、誰かが僕を見た時、「時間」「年齢」「空間」×「不安」「疑心」「伝聞」が僕の印象を査定する。子供が前から近づいてくると神経をとがらせる。寂しいと察するが両立する。親御さんの立場を想像すれば、世間が自分を見る眺望点へ近づける。

こういうとき、ひとりで仕事をするようになってよかったと感じる。一般的なサラリーマンを続けていたら、近づけなかった眺望点だ。ライブへ行くバンドのギターリストの方は、東京で職務質問を頻繁に受けるとブログに書き、ライブのMCでしゃべる。それがおかしい。身体感覚で理解できるから爆笑してしまう。

身体にはよくないと思いつつなるべく外出しないようにしたら、外で目にするポイントが変わる。変化を感じ取れるようになってきた。といってもわずかに感じ取れるだけ。元来の鈍感が劇的に改善されるわけではない。この間まで、と思うことがしばしば。大阪駅周辺の変貌に毎度驚く。

「この顔、結構気に入ってるんですよ。見慣れると可愛いんです。50年間も同じような顔を見てきたんですが、この何週間かは別の顔を見ているわけで・・・・・・。『お、ちょっと愛嬌があっていいじゃねぇか』って。皆さんも毎日、鏡で顔を眺めてください。必ず(体調の)変化に気づくはずです。健康であってください」

落合博満が〝顔面まひ〟隠さず語った「闘病2週間」 | スポーツ | 現代スポーツ | 現代ビジネス [講談社]

あらためて見ているかなと思う。僕の中ではこの文章と “最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か” ピーター・M. センゲ の自己マスタリーがリンクする。

「みんな企業に入るときは、頭が冴え、学問があり、活力にあふれている。人とちがうところを見せてやろうとやる気満々だ。でも三〇歳になるころには、わずかの人間が、”出世コース”に乗り、残りの者は週末に好きなことをするために、”勤務時間を適当に過ごす”。熱意も使命感も、新人のころの覇気も消えてしまう。仕事に注ぐエネルギーはほんのわずか、やる気なんてないも同然だ」

“最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か” ピーター・M. センゲ P.15

私の顔貌を見ているか。私に対して適当に過ごしている。自分に固着して、自分に執着して、私を練り上げていく覇気を失っている。そんなふうに己を眺める。もっと私を自分から切り離して己を冷静に分析したい。

己を分析する手本(“死を見つめる心 (講談社文庫 き 6-1)” 岸本 英夫, 稲垣 行一郎, 亀倉 雄策)に出会い、「死を忘れた幸福感」の一節を読む。世間と己に寛容でなければ己を冷静に分析できない。

近代産業の生産過程は、高能率という一点に集中される。生産過程の基礎をなすのは、つねに高能率を保つ健康なる機械である。その意味で、近代における生産機構は、つねに、健康である。健康で、フルの能率で活動していることを常態とする。そこで働く人々は、機械と同じように、最高の能率で働きうることが、前提とされる。(中略) 近代社会は、このような近代的生産機構の歯車の回転にピッチをあわせ、形成されている。近代社会は、性格上、健康な人間だけを標準にしてでき上がっている社会である。このような社会が、健康だというのではない。そこに参与することを許される人々は、すべて、能率のよい健康者に限る社会だということである。

“死を見つめる心 (講談社文庫 き 6-1)” 岸本 英夫, 稲垣 行一郎, 亀倉 雄策 P.139

分業は思考の断片化と部分化をもたらした。いまは「あるひとつの仕事の全体」をひとりですべてまかなえるのはめずらしい。かぎられた人かかぎられた職にだけ「あるひとつの仕事の全体」があるとしても、ほとんどは分業組織になっている。「あるひとつの仕事の全体」を分けたとしても、それに取り組んでいるときは、「全体を眺める」はずが、いつしか目の前の分業が全体になった。いったい「全体」はどこにあるかわからなくなり、思考が断片化・部分化していく。

平日の昼間、スーツで歩く男性は「健康」であり、二、三日剃らないひげ面で私服を着て歩く人は「不健康」かもしれないと断片化される。たぶん、逆転する土地もあるはずだ。平日の昼間にスーツで歩いていたら奇異に映り耳目を集めるような場所。だからどちらが正しいとかではなく、どちらかに所属しているかだけなんだけど、断片化された片側はもう片側に対して寛容でなくなり、感情の一線が越えると攻撃する。言葉でなら簡単に攻撃できるから、数百キロ離れた土地で起きた出来事に腹を立て、電話や書き込んだりして誹謗中傷する。身体を動かしてその場へ赴き感じることを咀嚼する時間を持たず、遠い「出来事」に触れた瞬間に身体から言葉が乖離して、言葉が闊歩して、言葉に触れた人が言葉に精神を揺さぶられ、言葉で切り返す。

そっとしておく、というもっとも冷徹で残酷であり優しいふるまいをさりげなくできたらよいな。