diary

6つの手紙

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2012.10.31 晴れ

今朝は 石崎ひゅーい – ガールフレンド でスタート。響くなぁ。届けるものが素晴らしいからシンプルな音が心地よい。しばらく没頭してみたい気分。

郵便が届いた。封筒の屋号を拝見して心あたりがないので何だろうかと思いながら封を切る。6通の手紙がはいっていた。驚いた。先日のミーティングの感想だ。スタッフ全員の感想。ひとりひとりが便せん1枚に感想を書いてくださっていた。

こんなかたちでのお礼と感想ははじめてだったのでちょっとだけうろたえた。恥ずかしさ、喜びが枯れた心を潤す。それぞれの文章を何度も熟読して、僕の手元に来るまでの経緯を想像する。どんな指示があり、どんな思いで、どれだけ苦労なされて書いたか。なかには文章を書くのは苦手な方もいらっしゃったのではと推察する。ほんとうにありがたい。

真摯な姿勢に満ち溢れる文章には、僕への健全な批判は含まれていない。「何が書かれていないか」を想像する。「書きにくかったこと」「言いづらかったこと」「書こうとしてやめたこと」などを思い巡らした。自分のなかで批判を形成する。伝えたことと伝わったことの狭間は埋まらない。架空の想像のなかで埋められるだけだ。それでもその作業はやめてはいけないと思う。

キーボードのキートップをはずして中性洗剤で洗った。キーボードにはバクテリアが確認されることもあり、状態によっては吹き掃除した便座の5倍汚染されているという報告がある(How your computer keyboard is FIVE TIMES dirtier than your toilet seat – and could even give you ‘qwerty tummy’ | Mail Online)。

また食事中にスマートフォンを触る場合、大腸菌が付着している調査結果をほんのわずかに考慮してもよいかなと思う(実は不潔だった大腸菌群だらけのスマホの現状と対策 – NAVER まとめ)。このあたりに神経質だとややもすれば強迫性障害を患うのだろうか?

知識を正しく知る、正しく理解するのは難しい。興味本位で細菌やウィルスにまつわるサイエンス本を読むと、正しく理解するどころかおぞましい姿や生活のワンシーンを浮かべてしまい、これでは何のために読んだのかわからなくなる。

何科か存じ上げないけれど医師らしい先生が表紙の本(それらの本の帯は実年齢に見えない!みたいなキャッチコピーが記載されている)が平積みされており、ぱらぱらめくって、コレを鵜呑みにしたらまずいのではと素人の僕は思うけれど、誰かに「やめたほうがよい」まで言えるだけの知識はないから、リアルにお目にかかった人がその健康法を実践しているって目の前で話はじめられたとき、微笑だけが僕に許された唯一手段だと強く強く己に言い聞かせる。

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