diary

熟練した無能力者

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2012.12.17 曇のち雨

今朝は Rhymester – This Y’all, That Y’all (feat. Super Butter Dog) でスタート。強制的にアゲの精神へトリップしなければならないときにコレ系をフル回転させてアゲへ我を誘拐します。

時々、欲望と負荷を視覚化させてくれる現象に出会って認識できたとき、関係の中に隠れていた私を発見して、知りたいことと知られていたことをデフラグする。

12:00前に大阪へ出発。13:30からF先生のミーティングに参加。何度も読み返している“最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か” ピーター・M. センゲをバックパックにいれて第10章を読み直す。センゲのこれと “組織化の社会心理学” カール・E. ワイク, “センスメーキング・イン・オーガニゼーションズ” カール・E. ワイク は何度読んでも読解できない。

「熟練した無能力者」という単語。「われわれは自分自身に囚われており、メンタル・モデルを調べられないように「防御規制」している(同P.203)結果、「高度に熟練したやり方で、学習する際の苦痛や不安から自分自身を守る」(同P.203)

自分がほんとうに望んでいる成果を自己認識する。それ自体の行為が難しい。いくら学習しても・自ら本を読んでも、それらは「自分が読みたい」本であり、「自分が学習したい」ことであり、「苦痛や不安」を防御しているだけかもしれない。

私をブレイクスルーする契機は、’そこ’にはない。

私に照らし合わす。理解できた。自ら本を読み学習してきた「系」が、他者によって破壊される恐怖を僕が感じたとき、強烈に抵抗する。なにかと自分が使っている理論(各自のメンタル・モデル)(同P.191)を持ち出して反論する。僕が知っていること、体験したことを諭すように話す。

そこに他者はいない。存在するのは自分だけだ。苦痛と不安を抱いている自分がいて、それを認識して、そこから脱出するために取り組んでいる行為を他者に伝達することに注力する。他者へ出力できても他者から入力できない、アンビバレントな感情が発露している。熟練した無能力者である。

TwitterのTLを眺めている時、ステキだなと思う瞬間がある。年長者の方々が、「年をとるごとに頭がかたくなっていることを自覚する」とふとしたときにさえずっていらっしゃる。その自覚できることはステキだし羨ましい。僕もそうやって年を重ねていきたい。

しなやかなように見えてガチガチにカタイ、これがもっともやっかいで自己分裂した状態だろう。その水域に足を踏み入れているかもしれないことを教えてくれるのも「誰か」であり、自分ではない。

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