diary

本厄

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2013.01.08 晴れ

今朝は Sigur Rós – Agaetis Byrjun でスタート。SNS経由で知りました。今年、ハマるかもな予感。

年末年始はとそろそろ尋ねられるこのごろ、変わらぬ日々、日々是好日。

意固地か頑固か、自然体か、まだ自分には素直に自己評価できないが、正月だからお節を食べるや初詣に参るなどしない。元旦の朝食はパンを食べ、その日の夕食はお好み焼きであった。どうもそういった「節目」に無頓着だ。

年末年始は、論文を読み、その周辺の書籍を拾い読み、ネットで論文を検索してPDFをiPadにDLして読み、今の時期にしかできないサーバの調整やサイトの修正をしたり、なんとかはやく仕上げたF先生のサイトをこねくり回したりしていたら、私の時は世間の新年あけましておめでとうございますムードを尻目に淡々とやり過ごそうとしていた。

いつものゆようにスーパーに行けば、いつものようでなかった。野菜だ。異様に高い。なぜだ。小松菜248円。値札を見た時、三が日に革命でも起きたかと思った。出荷量が減少しているからとはいえ、少し高すぎやしないか。

野菜なし生活は耐えられないが背に腹はかえられないかといえばそれもまた別腹だ。野菜と根菜に囲まれた食卓はいまでは贅沢のラベルをべったり貼ってもバチは当たるまい。

そんなこんなで世間も通常運転がはじまった矢先、悲劇はやってきた。

MacBook Pro が01/07(月)に故障した。まいった。仕事にならない。

同時に、「今年はなにかよからぬことが起きたら全部本厄だと言い聞かせよう」と誓った。そういった類をまったく信じない。周りが祓いに行けとうるさい。ありがたいことである。

勝手に思う。本厄の年齢になると親しかり、あるいは自身に何かしらの出来事が起きやすい。両親ははやくに私を産んだので今年64歳であるが、それでも何が起きても不思議でない。そういった「統計的に有意かどうか定かでないが、どうも周りではこの年齢の前後に災禍や災難に襲われるかもね」的な年齢の相関関係を因果関係へ転用して信心と掛け合わせたのであるまいか。と僕は勝手に推測してやり過ごす。

ここ数年来の体調が少しずつ変わってきたり、体力の低下や自身の進化に対する精神の綻びを省察すれば、本厄の前後はおもに「カラダ」の変化を来す時機なのかもしれない。

そにしてもどうしたのものか。ほんとにまいった。

落ち着け。危機は変容の好機。

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