diary

メールからメッセージへ

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2012.11.10 晴れ

今朝は 椎名林檎 – ここでキスして でスタート。歌詞がトリップしててビンビンきます。そういえば、instagram で「キスか、あるいは接吻か、それが、問題だ」とポストして、フォロワーさんたちからおもしろいコメントをいただいた。

野菜の高騰に腰が抜ける。サニーレタスが318円って、円が95円突破するよりびっくりするよ。まいった。野菜が好きなんだ、懐が痛んでも野菜を食べたい、でもね、ホントに痛めたら野菜どころじゃないから、とゆれ動きつつ、買うよ、房どりミニトマト、398円、エン。

この1年のあいだでメールの連絡が減ってきた。先生方は、Facebookを筆頭に、SkypeやiCloudなどからメッセージを送ってくる。一長一短はある。それを承知で使えば力をぬいたフランクな会話ができるのでありがたい。

数年後、メールはもっと減るだろう。いまの10代が携帯電話のメールソフトを起動させない、メールを打たない、スタイルは未来を示唆している。先進的でクールである。なんどか紹介したように、海外の企業ではメールシステムを廃止しはじめた。そのなかには大手企業も含まれる。

僕のまわりのクライアントは年上の方ばかりだ。僕より頭がやわらかい。ネットの新しいモノにふれ、仕事とプライベートのバランスをコントロールしてやっている。Facebookのフィードをのぞけば意外な一面も。ファンページを開設していらっしゃる先生がいる。僕に管理者権限まで与えてくださっているから、SNS内部の状況を勉強させてもらっている。

「わからないから教えて」と言える人は素晴らしい。その人たちの共通点は、屈託がない。みなさん素直に尋ねてこられる。冗談をおりまぜながら厭味がない。下品でもない。力強さを保って「対等」である点を年下の僕に示してくれる。

僕だけでなく他の方々へもだ。だからそんな人々のもとへは、いろんな「モノ」と「コト」が集まってくる。誰かが「何か」をもってやってくる。<私>の周辺がぼやけていき、直径が長くなる。私から自己への転回。私と他者の境界線に「関係」が生まれ育まれる。

「わからない」のたった一言を素直に吐露する。とても難しい。たいていは「わからない」と言えない。他者に対して「閉じている」んだ。

11:00すぎに大阪へ出発。13:30からF先生のDHとミーティング。メンバはDHの方々と私。ドクタやアシスタントはいない。貴重な体験になる1年のはじまりである。僕は変わらなければならないだろう。試練を与えられている。この試練と対峙して変容へ展開させなければならない。F先生とDHの方々のもとへ、大切な時機が到来している。

反対の視点をもたらす。

一つの見方が成立したとき、反対の見方へスポットライトをあてる。ふだんの生活なら誰かが反対の見方の舞台に立つ。その時、はじめて「反対の見方の舞台があった」と、一つの見方をしている人は認識する。対話は「舞台」である。私が観客で、相手が演者だ。時と場に応じて互いの役割は反転する。私が演者にもなる。

私とあなたが監督になり脚本を書く。共同作業。他者に対して「閉じている」といっしょに脚本を書けない(書かなければならないわけじゃないからね)。

反対の視点を、外連味なく提示できるようになること。これが僕の課題だ。反対の視点を提示されたらしこりが残る。僕も感情がゆさぶられつらいときもある。その気持ちを理解しなければならない。理解したうえで、反対の意見を冷静に提示して<私>と<他者>を壊して対立して「関係」を創造する。

対立と創造を支える根っこは何か?

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