diary

世界を一瞬で切る取る感性

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2013.01.16 晴れ

今朝は Jason Mraz & Colbie Caillat – Lucky でスタート。”Lucky I’m in love with my best friend Lucky to have been where I have been Lucky to be coming home again”がベタによい感じ。ベストフレンドと恋に落ちるってどんなでしょうか? 落ちたことないので落ちてみたいような落ちたくないような、っていつまでも恋は大切ですよって思います、ハイ

第六十九候、雉始雊。旬が鱈であるなら鍋であり、鍋であるなら水菜であり、水菜であるなら野菜であり、野菜であるならまだ手が伸びづらい。びくびくする売場探索。ちらっと見える価格に怯え、少量はちょっとなぁって己の我が儘に嘆息しつつ、野菜難民の日々。

野菜を食べるために稼ぐ。それも現実である。

09:00前に大阪へ。制作中の医院の撮影へ。といっても僕は立ち会いだけ。奥様が撮影してくださる。どちらかというと、僕がお金を払って頼まなければならないぐらいだ。

セミプロ、というかやっぱりプロ(撮影してほしいってお声がかかったらしい、しかも超がつく有名どころから)の奥様から撮影を指示してください、と言われても、それは土台無茶ブリなわけで、納豆を食えに等しい難題に私はただただ腰がひけて、くの字からひれ伏して数百メートル離れて大声で辞退申し上げ、やがて真横でものすごい撮る気にさせるはじめて耳にしたシャッタ音に吃驚しながらガン見。

口があんぐり。もうこのときばかりは自分の視野角を自分で自分で褒めてあげたい、と自賛した。ホント、まだ広角側の視野角でよかったよ自分の眼が。たぶんあと数年もすれば望遠にかわっていくんだろうけど、まだ50mm以上に広い視野角で世の中の風景を僕の目は切り取っている。

奥様はもっと広い。その眼が世界を一瞬で切り取る。RAWなんて知らない。デジタル全盛、現像ソフト万歳の時代、カメラ側でセッティングしながらJPEGで撮影する姿は昔気質の職人のようであり、周りがなんと言おうがそのスタイルは僕はとても好きだ。

夕方の琵琶湖

午前中は医院の周りを撮影。傍らで耳にするレリーズ。ウキウキさせるレリーズ。あれもこれもってお強請りしたくなるレリーズ。

ディスプレイに映し出される写真の構図と色合い、露出を確認。本来なら数値を確認しなければならない。でもそんなことはどうでもよかった。直感を信じてふたりで話し合う。

フォトグラファの視点と感性を邪魔してはいけない。撮影の気持ちを損なってもらってはいけない。たとえ相手が満足していなかっても僕は黙っていた。撮影してほしい構図を3回お願いしてあとは委ねた。

僕が見ている風景と他者が見ている風景、認識している世界は異なる。そのあたりまえであることがとても新鮮だった。あたりまえのコトを「目に見えるカタチ」で示してくれた。色彩の表現や基準の露出、被写界深度、なにもかも異なる。同じ「方向」を認識しているけれど、最後の最後で意識が切り取る「一瞬」は違う。

この違いを認めるられるか否か。暴言を吐くと多くの人は認めない。認めるふりして認めない。それは知識の多寡と考量の優劣で「認識する風景」を査定するからだ。

午後からは終了まで院内の撮影。対象は動的である。動的から静的へ変換する。非常に難しい作業で集中力が要求される。同じシーンは二度とやってこない。すべては一回性。あって感じるコンマ数秒前にレリーズしていないと、一瞬は保存されない。

723枚。

次は僕の番。編集していく。あのときのシーンを思い出しながらテキストを書き、相手は何を見たいか思い巡らして、試行錯誤していく。

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