diary

相互誤解のうえで成立する綱渡りの解釈

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2013.02.05 晴れ

[youtube:https://www.youtube.com/watch?v=ofk5zngSlck]

今朝は 沢田研二 – 愛の賛歌 でスタート。美輪明宏バージョンと迷いましたが、こちらで。歌い手が素晴らしすぎるから歌い続けられるのか、歌が素晴らしすぎるから歌い手が集まってくるのか。どちらもか。このテンポも大好きですが、桑田佳祐バージョン、東京スカパラダイスオーケストラバージョンもこの上なく好きです、ハイ。

立春、太陽の黄経は315度。第一候、東風解凍。暦のうえでの春。まだ遠し。変わらぬ寒さ、冬空。変化の兆しを見逃さずといえば、聞こえはよいが、営みのなかでは目の前の生活に目と耳は奪われ、がらりと風景が変わったときにようやく節目を認識する。

01/04から1ヶ月が経ったのは事実であっても、それが早いか遅いかわからなくて、自分の刻はこわれた時計できざまされているんじゃないかしらと錯覚してしまい、どうも周りのスピード感とやらについていけず、周りがはやくなればなるほど私はスローへと相対していたき、周りの景色のなかに己を逃して、音へ音へ深く分け入る。

野菜の価格は落ち着いたかにみえたけど、やっぱり高値のままもある。買い物の売場を眺めたら便利へ探究心は尽きないみたい。魚もファストフィッシュ? というラベルが貼られている。総菜系も充実しているし、なにより冷凍食品の種類に驚く。側聞するところによると、そこそこ食べられるらしい。試してみようと思わないけれど。

コンビニに行けばPB商品が充実している。特にセブンイレブンのPBには目を見張る。そんなものまで、って思わず声が出てしまった。一人暮らしだとうまく利用すれば、自炊の食費程度までコントロールできるかも、と計算してみようか、とまでは思わない。

おいしそうな食卓のPICを見て、コメント欄に「成城石井のインスタントです」って書いてあるのを読んで吃驚だし、写真の撮り方と見せ方で、人の欲求は刺激される。

外国の事情を知らないので比較文化論を語れないけれど、日本人の食に対する味と利便性の追求はどこからやってくるんだろう。食の写真をアップする風習は外国にもあるらしく、Facebook ではすでに「もうやだ」的な雰囲気もあるらしい。そりゃ、タイムラインが食べ物ばっかりだったらうんざりだし、根っこには微妙な感情も隠れている、たぶん。

アップされたPICの美味しそうな写真は、たまたまその人がめったに食べないものをアップしたかもしれないけれど、見ている人は「豪勢な食事だ」って印象を持ちかねない。

この一回性と連続性の錯誤が写真のもたらす強さでもあり怖さでもある。

琵琶湖

言葉も似た要素を持っている。

たまたまの出来事や輪郭をぼかしてやや抽象的に書いたら、いつも同じ事をやっているように読まれる。読解力とリンクしているしていないかは知らない。感じる点は一つ。自分のなかで構築された思い込みらしき世界観や価値観を持っていればいるほど、その観にはめこんで読んでいる、んじゃないかな。憶測。

まぁ、読み違えられてもかまわないわけで。それを気にし出すと何も書けない。

あらかじめ自分のなかで設定している世界の輪郭がはっきりしていて、現実との界面が堅牢であれば、予定外によって崩されたときの対処は難しい。いつも「予定外」であることは不可能だとしても、それに一歩一歩近づけるように、身体と精神をどんどん空っぽにしていきたい。

歳を重ねるにつれ子供のときよりも一日が長く感じられるような進化を遂げられたら、ヒトの種として望外の成功だよね。

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